武内宿禰による創祀、平安期の大鹿桜、鎌倉期の杉鳥居と「えんむすび桜」
[住所]福島県耶麻郡猪苗代町字西峰6199
[電話]0242-62-4109

磐椅神社(いわはしじんじゃ)は、福島県耶麻郡猪苗代町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「磐椅神社(陸奥国・耶磨郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

御祭神は、大山衹神埴輪姫命。相殿に木花佐久夜毘賣命磐長姫命品陀和氣命息長足姫命を祀る。

神功皇后摂政50年、武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神とされる大山祇神と埴山姫命を磐椅山(現 磐梯山)の山頂に奉斎したのが創祀。

奈良時代、聖武天皇の御代、天平元年(729年)8月25日、見祢山南麓の現在地に遷座。

平安時代、平城天皇の御代、大同元年(808年)に磐梯山の噴火で社殿が崩壊したが、弘仁4年(813)に再建される。

『日本文徳天皇実録』の斉衝3年(856年)正月の項に、「陸奥国石椅神加従四位下」とある。

この神号には磐椅、岩椅、石椅との表記があったが、明治期に磐椅に統一された。古くから磐椅明神、峰明神として崇敬された。

平安時代の村上天皇の御代、天暦元年(947年)、勅使の派遣があり、宸翰と桜樹を奉献して社殿を修復した。この時の桜樹が今も現存する大鹿桜で、会津五桜の一つ。

鎌倉時代、土御門天皇の御代、元久2年(1205年)、猪苗代城主の三浦経連(猪苗代経連)から社領8000余町の寄進があり、承久年間(1219年-1221年)には三浦盛常が2300町を寄進した。

また、順徳天皇の御代の承元元年(1207年)、現在の場所に旧社殿のまま遷座し、杉を植えてこれを鳥居杉と命名した。

この鳥居杉は現存しており、推定樹齢800年以上、今は中ほど二股別れの所に、山桜の寄生木が生え、良縁祈願の「えんむすび桜」として当社の代名詞の一つになっている。

江戸時代に入り、寛文年間(1661年-1672年)に、会津藩主保科正之が社殿を造営し、会津大鎮守六社の一つとした、いわゆる会津六社の一社。

万治2年(1659年)、正之は当社に参詣して没後は当社の末社となることを告げて神事を行う。このため、当社の西側に末社として土津大明神が造営され、正之は奥の院の墓所に眠る。

寛保3年(1743年)閏4月12日に正一位の神階を授かった。

例祭は10月体育の日。4月下旬から5月中旬にかけて大鹿桜祭が開催される。大鹿桜は福島県内で最も遅く咲く桜として知られ、また開花期間も長いため、別名「翁桜」とも。

境内の地下23メートルより湧き出る霊水「宝の水」がある。会津名水紀行三十選、「特に後世に伝えたいふくしまの水文化」に選定され、社務所には同名の御神酒がある。

文化財として、彩色三十六歌仙が町指定重要文化財になっている他、社殿の前の赤鳥居は宮司自らの作となるもので、高さ約3.7メートル、間口約2.7メートル。

なお、式内社「磐椅神社」の論社は他に、磐梯町の磐梯神社がある。

【ご利益】
縁結び・豊作祈願・方除開運など全ての開発開運の神(公式HP
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磐椅神社の御朱印