本所総鎮守、徳川将軍家の崇敬厚く、5年に一度の大祭では神牛が牛車を曳く
[住所]東京都墨田区向島1-4-5
[電話]03-3622-0973

牛嶋神社(うしじまじんじゃ、牛島神社)は、東京都墨田区向島にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

縁起によると、平安時代の貞観年間(859年-879年)に慈覚大師(円仁)が一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会い、下記の託宣により創建。
師わがために一宇の社を建立せよ、若し国土に騒乱あらば、首に牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わし、天下安全の守護たらん
そのため、当初は牛御前社とも呼ばれた。

江戸名所図会』では、牛島の出崎に位置するところから、牛島の御崎と称えたのを、御前と転称したものであろうと説明している。牛頭天王信仰の一つであることは間違いない。

御祭神は須佐之男命天之穂日命・貞辰親王命。貞辰親王(874年-929年)は清和天皇の皇子。

当社創建間もなく、元慶元年(938)に当地で薨去したと伝わる貞辰親王を、やはり慈覚大師が王子権現として祀った。

現在の葛飾区東四つ木の王子神社である。当社はその王子権現を勧請したと伝わる。別当は最勝寺だった。

治承4年(1180年)に伊豆で旗上げした源頼朝が、敗れて房州に逃れ、再挙して隅田川を渡る際、川が荒れて難儀したが、千葉介常胤が当社に祈願し、事なきを得たと伝わる。

以後千葉氏の崇敬厚く、宝物として月輪の紋をつけた千葉家の旗が伝わり、箱書に「此指物自先祖 持来候 然而牛御前宮者 先祖千葉家被再興候 慶長十八年九月十五日 国分宗兵衛正勝敬白 牛御前別当最勝寺」とある。慶長18年は1613年。

天文7年(1538年)、後奈良天皇より「牛御前社」という勅号を賜わった。

江戸時代は鬼門守護の社として将軍家の崇敬厚く、3代将軍徳川家光は本所石原に社地を下賜、御旅所とした。現在その地には摂社若宮牛嶋神社がある。また、社地の隣には三囲神社があった。

明治初年以後に現社号に改称し、本所総鎮守として崇敬される。大正12年(1923年)の関東大震災で焼失。

当社には、後刻と思われる貞観17年(875年)銘をもつ板碑が所蔵されていたが、震災時に損壊。その拓本は今も所蔵されている。

かつては少し北の墨堤常夜灯の東にあり、墨田公園の開設により、昭和7年(1932年)に現在地に移築した。総桧権現造で、東都屈指の大社殿とされる。旧地には記念標石が建っている。

例祭は9月15日。5年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町の安泰祈願で巡行する。この神幸祭では、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり、鳳輦を曳く。

撫牛、烏亭焉馬「いそかすは」の狂歌碑、神牛(拝殿前1対)、狛犬(拝殿前3対)、文久2年(1862年)銘の鳥居が区登録文化財。殲蒙古仇碑記、荻園加藤先生之碑、太田南畝詩碑などもある。

このうち撫牛は、文政8年(1815)ごろに奉納されたものといわれ、以前は牛型の自然石だったという。明治初期の作家・淡島寒月が句に読み、堀辰雄も言及している。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、国家守護、勝運・必勝祈願
牛嶋神社 - 本所総鎮守、徳川将軍家の崇敬厚く、5年に一度の大祭では神牛が牛車を曳く
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