徳川家康も参詣、2代将軍が「誠に目出度い神号」と称賛した、貞観創建の古社
[住所]東京都中央区日本橋室町2-4-14
[電話]03-3276-3550

福徳神社(ふくとくじんじゃ)は、東京都中央区日本橋室町にある神社。近代社格では村社。中央通りから「コレド室町」の北側を東へ50メートルほど入ったところに鎮座する。後述の由緒のように、別名は芽吹神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、主祭神として倉稲魂命を祀り、相殿に天穂日命大巳貴命少名彦命事代主命、三穂津媛命(みほつひめのみこと)を祀る。

江戸時代前後に太田道灌、弁財天(べんざいてん)、徳川家康を合祀。

当社の創祀は不詳だが、当社に伝わる略記によると、清和天皇の貞観年間(859年-876年)にはすでに鎮座していたという。武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名が社号として今に伝わる。

貞観元年(859年)建立とされる一里塚が江戸期まで伝わり、「稲荷の一里塚」と呼び親しまれたという。明暦3年(1657年)正月8日の大地震により崩壊した。

元来武将の信仰があつく、源義家(1039年-1106年)が深く崇敬し、江戸幕府以前に太田道灌が合祀された際にはその兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わる。

天正18年(1590年)8月1日に入府した徳川家康は、同月中に当社を参詣し、その後も数度参詣したという。

2代将軍徳川秀忠は慶長19年(1614年)正月8日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛したという。この時、当社古例の椚の皮付きの鳥居に、春の若芽の萌え出でたのを見、当社の別名を「芽吹神社」とした。

元和5年(1619年)2月に江戸城内の弁天宮を当社に合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納め、大和錦の幌を奉納、さらに「社地縄張を三百三十坪」と定めた。

当時、社殿宏壮にして境内地に樹木繁茂し、森厳を極め、3代将軍徳川家光の頃より幕末に至るまで、当社地は江戸の中枢地として俗に土一升金一升などと称えられた。

この間、数度に渡り境内地一部の上地が命ぜられ、明治維新後には40余坪の境内地を存することとなった。もともと瀬戸物町24番地にあったが、関東大震災を経て、大正14年(1925年)の区画整理に伴い現在地に換地した。

明治7年(1874年)に村社に列格、福徳稲荷と呼ばれていたが、明治9年(1876年)9月1日に現社号に改称した。

2月に初午。5月が例大祭。10月には福徳まつりが開催される。大江戸東京まんまん祭りの一環で、当社周辺の仲通りに日本橋の名店が出店する「福徳市」と、「福徳くじ」が開催される。

境内末社に一社あり、御祭神は宇迦之御魂命。松村稲荷・武田稲荷と称して天明年間(1781年-1789年)の鎮祭と伝える。

三井不動産のテレビCM 「活気ある街で」篇で、蒼井優が当社に立ち寄り、白髪の白装束を着た神と出会うという印象的なCMの舞台となったことでも知られている。

現在では、縁起の良い名前を持つ神社として、宝くじ当選祈願に訪れる参拝客も多いという。
 
【ご利益】
商売繁盛、厄災除け、病気平癒、宝くじ当選祈願(公式HP
福徳神社 - 徳川家康も参詣、2代将軍が「誠に目出度い神号」と称賛した、貞観創建の古社
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