『日本三代実録』記載の讃岐国船山神、丸亀の三氏藩主に崇敬された古社
[住所]香川県丸亀市山北町569
[電話]0877-22-3846
山北八幡神社(やまきたはちまんじんじゃ)は、香川県丸亀市山北町にある神社。さぬき十五社の11番。丸亀市の産土神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、品陀和気尊・息長帯姫命・玉依姫命。八幡神としては、福岡市東区の筥崎宮と同タイプ。波仁夜須神・水波女神・天照皇大神・大物主神を合祀する。
宝暦年間(1751年-1764年)の社記によれば、当社は往昔、船山に鎮座しており、船山大明神と称せられた。以前まではここまで海で、造船や船の修理などを行っていたために船山または波越大と呼ばれるようになったという。
『日本三代実録』に「元慶五年十一月十四日戊午授讃岐国正六位上船山神従五位下」とみえる。元慶5年は881年。
いつしか、この沖に大亀が来て、それを捕え、朝廷に献じた。そのため、この沖を丸亀沖と、この船山を亀山と呼ぶようになった。それにともない、当社も亀山大明神と称せらるようになった。
『道隆寺温故記』によれば、延久5年(1073年)秋8月、裕善法印が勅を奉じて、中津・山北・葛原・三井・堀江の五つの八幡宮を創建。当社の直接の創建となる。
あるいは応保年間(1161年-1163年)、崇徳天皇は鵜足郡亀山の北に登り、はるかに山城国雄徳山(現 石清水八幡宮)を拝したという。そこで、小祠を営んだことが当社の創建とも。
『道隆寺温故記』には、永仁5年(1297年)と貞治3年(1364年)に遷宮があったことが記され、あるいは貞治元年(1362年)には海崎元村が再興したとも伝わる。
慶長7年(1602年)、国主生駒一正が西讃鎮護のために亀山に築城。これに伴い、当社を柞原郷王子森に遷座して社殿を造営し、神領16石を寄進した。
寛永18年(1641年)、山崎家治が西讃に入封し、丸亀に居城、当社社殿を修造する。万治元年(1658年)には京極高和が入封するが、当社への崇敬は変わらなかった。
京極6代高朗(1798-1874年)の参勤交代出発の様子が描かれた絵馬が安政4年(1857年)に当社に奉納され、現存する。県指定有形民俗文化財。
丸亀藩の三氏藩主いずれもに崇敬されたが、亀山の旧鎮座地は明治6年(1873年)、兵営建設の際に取り除かれて消滅した。
一時期、当社に飯神社を合祀することも検討されたが、式内社を軽々と動かしてはならないとの判断により、見送られたという。
【ご利益】
厄災除け、交通・旅行安全

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山北八幡神社(やまきたはちまんじんじゃ)は、香川県丸亀市山北町にある神社。さぬき十五社の11番。丸亀市の産土神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、品陀和気尊・息長帯姫命・玉依姫命。八幡神としては、福岡市東区の筥崎宮と同タイプ。波仁夜須神・水波女神・天照皇大神・大物主神を合祀する。
宝暦年間(1751年-1764年)の社記によれば、当社は往昔、船山に鎮座しており、船山大明神と称せられた。以前まではここまで海で、造船や船の修理などを行っていたために船山または波越大と呼ばれるようになったという。
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いつしか、この沖に大亀が来て、それを捕え、朝廷に献じた。そのため、この沖を丸亀沖と、この船山を亀山と呼ぶようになった。それにともない、当社も亀山大明神と称せらるようになった。
『道隆寺温故記』によれば、延久5年(1073年)秋8月、裕善法印が勅を奉じて、中津・山北・葛原・三井・堀江の五つの八幡宮を創建。当社の直接の創建となる。
あるいは応保年間(1161年-1163年)、崇徳天皇は鵜足郡亀山の北に登り、はるかに山城国雄徳山(現 石清水八幡宮)を拝したという。そこで、小祠を営んだことが当社の創建とも。
『道隆寺温故記』には、永仁5年(1297年)と貞治3年(1364年)に遷宮があったことが記され、あるいは貞治元年(1362年)には海崎元村が再興したとも伝わる。
慶長7年(1602年)、国主生駒一正が西讃鎮護のために亀山に築城。これに伴い、当社を柞原郷王子森に遷座して社殿を造営し、神領16石を寄進した。
寛永18年(1641年)、山崎家治が西讃に入封し、丸亀に居城、当社社殿を修造する。万治元年(1658年)には京極高和が入封するが、当社への崇敬は変わらなかった。
京極6代高朗(1798-1874年)の参勤交代出発の様子が描かれた絵馬が安政4年(1857年)に当社に奉納され、現存する。県指定有形民俗文化財。
丸亀藩の三氏藩主いずれもに崇敬されたが、亀山の旧鎮座地は明治6年(1873年)、兵営建設の際に取り除かれて消滅した。
一時期、当社に飯神社を合祀することも検討されたが、式内社を軽々と動かしてはならないとの判断により、見送られたという。
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