南北朝期の戦勝の神恩感謝が創祀か、巨大な太鼓台の担ぎ上げが有名
[住所]香川県坂出市八幡町2-3-37
[電話]0877-46-2847
坂出八幡神社(さかいではちまんじんじゃ)は、香川県坂出市八幡町にある神社。近代社格では村社。さぬき十五社の10番。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は譽田天皇(応神天皇)。天照皇大神、大物主神を配祀する。
社記によれば、往古男山八幡宮(山城国石清水八幡宮)を金山村の角山山嶺に勧請し、天正3年(1575年)3月3日に坂出村中浜に遷座したという。
あるいは南北朝時代の正平年間(1347年-1370年)、細川頼之が細川清氏と高屋城・白峰城で戦った際に、神明の加護により大勝した頼之が、凱旋の途中、角山の麓に祠を建て、八幡神を祀るのに始まるともいう。
さらに別説としては、播州の赤穂から赤穂八幡を勧請して、赤穂八幡宮と称す、ともある。
寛文年間(1661年-1673年)、社人の福家吉太夫と別当である摩尼珠院との間に紛争が生じ、結果、吉太夫が敗訴して改易となり、寛文9年(1669年)3月に摩尼珠院の境内に遷座した。
しかし、別当氏子などに毎夜のように霊夢があり、別当側が畏怖したために、同年12月に苗地、つまり現在地に遷座する。
元禄2年(1689年)、坂出政所橋本金左衛門の斡旋により社殿が改築された。文政12年(1829年)、高松藩主松平頼恕が、久米英左衛門に命じて当地の開墾を進め、人口が急増し、氏子も増えたという。
天保13年(1843年)、拝殿を改築し、次いで安政4年(1858年)に本殿を改築。明治12年(1879年)に村社に列せられ、坂出一村の産土神となった。
明治20年(1887年)と明治25年(1892年)に境内を拡張、神輿庫を新築し、大正13年(1924年)には社務所を改築、昭和5年(1930年)に参道を拡張し、現在に至っている。
10月に秋祭りがあり、大規模な太鼓台の練と担ぎ上げで知られる。巫女による舞の奉納もある。境内社に、塩竃神社・幸神社・地神社・狸霊社がある。
【ご利益】
必勝祈願、勝運、厄災除け、身体壮健
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坂出八幡神社(さかいではちまんじんじゃ)は、香川県坂出市八幡町にある神社。近代社格では村社。さぬき十五社の10番。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は譽田天皇(応神天皇)。天照皇大神、大物主神を配祀する。
社記によれば、往古男山八幡宮(山城国石清水八幡宮)を金山村の角山山嶺に勧請し、天正3年(1575年)3月3日に坂出村中浜に遷座したという。
あるいは南北朝時代の正平年間(1347年-1370年)、細川頼之が細川清氏と高屋城・白峰城で戦った際に、神明の加護により大勝した頼之が、凱旋の途中、角山の麓に祠を建て、八幡神を祀るのに始まるともいう。
さらに別説としては、播州の赤穂から赤穂八幡を勧請して、赤穂八幡宮と称す、ともある。
寛文年間(1661年-1673年)、社人の福家吉太夫と別当である摩尼珠院との間に紛争が生じ、結果、吉太夫が敗訴して改易となり、寛文9年(1669年)3月に摩尼珠院の境内に遷座した。
しかし、別当氏子などに毎夜のように霊夢があり、別当側が畏怖したために、同年12月に苗地、つまり現在地に遷座する。
元禄2年(1689年)、坂出政所橋本金左衛門の斡旋により社殿が改築された。文政12年(1829年)、高松藩主松平頼恕が、久米英左衛門に命じて当地の開墾を進め、人口が急増し、氏子も増えたという。
天保13年(1843年)、拝殿を改築し、次いで安政4年(1858年)に本殿を改築。明治12年(1879年)に村社に列せられ、坂出一村の産土神となった。
明治20年(1887年)と明治25年(1892年)に境内を拡張、神輿庫を新築し、大正13年(1924年)には社務所を改築、昭和5年(1930年)に参道を拡張し、現在に至っている。
10月に秋祭りがあり、大規模な太鼓台の練と担ぎ上げで知られる。巫女による舞の奉納もある。境内社に、塩竃神社・幸神社・地神社・狸霊社がある。
【ご利益】
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