倭迹々日百襲姫命の讃岐来訪伝承、最澄・空海・義経ゆかり
[住所]香川県東かがわ市水主1559
[電話]0879-25-8611

水主神社(みずしじんじゃ)は、香川県東かがわ市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 大内郡「水主神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社さぬき十五社の2番。

通称「社さん(やしろさん)」として親しまれ、讃岐最古の神社の一つ。創祀は第7代孝霊天皇の御宇。御祭神は孝霊天皇の皇女である倭迹々日百襲姫命。讃岐国一宮・田村神社の御祭神でもある。

弥生時代後期、女王卑弥呼の死後、再び争乱が繰り返され、倭迹々日百襲姫命は7歳の時、大和国黒田盧戸を出て、8歳の時に東讃引田の安戸の浦に着いたと伝わる。

姫は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを 助けた。主祭神ゆかりとされる「水主米」は現在、県下有数の銘柄米となっている。

境内は県の自然環境保全地域に指定され、付近からは 縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され、山上には姫の御陵といわれる古墳もある。

倭迹々日百襲姫命こそが、『魏志』倭人伝にある卑弥呼その人であるとの説もあり、また卑弥呼の墓ともされる大和国の箸墓古墳、その被葬者が倭迹々日百襲姫命とされる。

倭迹々日百襲姫命の弟に、彦五十狭芹彦命、つまり吉備津彦命がいる。吉備平定の英雄で、いわゆる桃太郎のモデルとされる。岡山県岡山市には吉備津彦命を祀る吉備津神社がある。

吉備津彦命もやはり田村神社の御祭神の一柱であり、讃岐と吉備の地理的な関係から、当社-田村神社と、吉備津彦命の活躍を関連付ける見方もある。

高松市鬼無町の桃太郎神社には、吉備津彦命ではなく、その弟である稚武彦命に関する伝承が残る。

綾歌郡綾川町の瀧宮神社も、当地周辺や讃岐はもちろん、阿波・吉備の国々から崇敬されたと伝えられている。

大水主大明神あるいは大内大明神と言われ、文武天皇(在位:697年-707年)・元明天皇(在位:707年-715年)の時代より「洛陽の坤の方なる讃岐の国に霊地あり、大水主御社と号す」と言われた。

宝亀年間(770年-781年)の創祀とも伝わるが、これは再建の年であるという。応和2年(962年)に現社号が贈られたともされるが、これも当社縁起に基づく追贈か。

伝教大師最澄は延暦9年、24歳の時、当社と別当である大水寺(明治2年(1869年)2月に廃寺)に参籠している。弘法大師空海は当社境内地で閼伽井水を掘り、当社に奉献している。

源平の争乱の頃は、源義経が進軍中に立ち寄って戦勝を祈願したと伝わる。以上の由緒は、三豊市高瀬町の大水上神社と共通している部分がある。

土地の人は、ここを「大内」と呼び、昔日の大内郡の郡名、大内町の町名はここに起源となると言われている。

本殿の左右に、熊野三社と国玉神社、本殿後方に孝霊神社があり、四社構成となっている。国玉神社には主祭神の母・倭国香媛を、孝霊神社には主祭神の父・孝霊天皇を祀る。

熊野三社は熊野三山からの勧請と考えられ、水主三山とも呼ばれる。新宮神社(虎丸山。伊邪那美命)、本宮神社(本宮山。早玉男命)、那智神社(那智山。事解男命)からなる。

他に水神社(水波女命)がある。木造狛犬二点、木造御神像八点、雷文螺鈿鞍一背大般若経入白木面塗函六十点などの文化財がある。

なお、『延喜式』神名帳では、山城国 久世郡当社と同名の神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、天気、特に降雨祈願
水主神社(東かがわ市) - 倭迹々日百襲姫命の讃岐来訪伝承、最澄・空海・義経ゆかり
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水主神社(東かがわ市)の御朱印