北斗星と牽牛星の間にまで光射された、琉球王子の病気を治癒した霊験ある古社
[住所]沖縄県那覇市繁多川4-1-43
[電話]098-853-7225

識名宮(しきなぐう)は、沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つで、近代社格では無格社。尸棄那権現・姑射山権現などとも。識名宮神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、熊野権現として伊弉冉尊・速玉男命・事解男命を、また、午ぬふぁ神・識名権現を祀る。

社伝によると、昔古真和志間切識名村(現 繁多川含)は、広々とした荒れ野原で、人家はなく、近くの村に住んでいた崎間知之の妻大阿母志良礼が当地から北斗星と牽牛星の間にまで光射されるものを発見した。

よく確認すると、ある洞穴から光は生じており、その洞穴には賓頭盧(ビンドラ・バラダージャ)の像が一体安置されていた。光が賓頭盧の霊光だと考えた大阿母はこれを深く信仰、すると願い事が次々と叶った。

尚元王(在位:1556年-1572年)の長子尚康伯が病気を患っている時、大阿母は霊光の霊験を進言、王子の病気も日に日に癒え、その霊験の著しさにより、別当となる神応寺とともに当宮が創建された。

また、大阿母の孫娘の一人は、全身ことごとく白く、髪や眉までが雪のようだったという。言葉を慎み神仏を深く信仰し、魚や肉を嫌って精進していた。

ある日、孫娘が屋敷の榕樹(がじゅまる)の下に行くと突然姿を消した。大阿母は、家族の者に対して「あの榕樹には必ず神がおられるので、伐ってはならない」と戒めた。こうして、識名村に人が集まるようになり、後世には繁多川と分かれるまでなったという。

近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮熊野新宮に、普天満宮熊野那智(飛龍)に擬せられたが、当宮は熊野本宮に見立てられた。

尚賢王(在位:1641年-1647年)の時、毎年1・5・9月の吉日に国王の行幸が始まった。1671年には隣接の神応寺が臨済宗より真言宗に改宗された。

社殿はもと霊光を発していた洞内にあったが、湿気がひどかったため康煕19年(1680年、和暦では延宝8年)に洞外に移築して、瓦葺とした。洞窟は現在も本殿の後方にあり、毎月1日と15日に開門される。

戦前の社殿は三間社流造、本瓦葺き、桁行3.7メートル、梁間2.4メートルで、沖宮の本殿に類似していたが、戦災で焼失。戦後、奉賛会が発足して昭和43年(1968年)12月に社殿が復興した。

例祭は9月15日。

【ご利益】
病気平癒、諸願成就(公式HP
識名宮 - 北斗星と牽牛星の間にまで光射された、琉球王子の病気を治癒した霊験ある古社
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