矢と鐘、琉球王の喜界島討伐を加護し戦勝に導いた琉球八社唯一の八幡神
[住所]沖縄県那覇市安里3-19-14
[電話]098-863-8716

安里八幡宮(あさとはちまんぐう)は、沖縄県那覇市安里にある神社。琉球八社の一つで、近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

琉球八社は熊野権現を祀っていることが多いが、当宮は八社の中で唯一の八幡神で、応神天皇神功皇后玉依姫命を祀る。八幡神としての顔ぶれは、福岡市東区の筥崎宮と同じタイプ。

康熙52年(1713年、和暦では正徳3年)に成立した『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』では、創建は天順年間(1457年-1464年)であるとし、下記のような伝承を残す。

第6代琉球国王尚徳王の御代、兵を遣わして喜界島を討伐しようとした。小島でありながら喜界島が王に従わなかったため。

王自らが出陣、その門出、城の麓に水鳥がいた。王は矢をつがえ、「今我軍が有利であるならば、この鳥をすみやかに射落とせ」と誓って、一本の矢を地に立て、一本の矢を放った。矢は鳥を射止めたので、王は帆を上げ出航した。

喜界島へ向かう海路を進むと、今度は小鐘が海面に浮いてきた。船人達がこれを得ようと欲すると遠ざかるが、船の傍らより離れることはなかった。

そこで王は、「この戦に利があるなら霊鐘わが手に入るべし。帰国の後は八幡大菩薩を崇めるべし」と誓って右手を出すと、鐘は簡単に手に入った。

王は歓喜して輿を造って御座船に勧請し、祭祀を行った。本懐を遂げて帰国すると、王は矢を立てた場所に霊社を建て、浮鐘と神通矢を垂迹として八幡大菩薩と号し奉じた。

慶安元年(1648年)の『琉球神道記 巻第5』では、これが第5代琉球国王尚泰久王御代の出来事であるとしている。

現在も道路を挟んだ当社の南西側に位置する神徳寺が別当だった。上下の尊信篤く、琉球歌謡「上がり口説(ヌブイクドウチ)」にも謳われ、有名だった。

明治41年(1908年)には、同じく琉球八社の一つである沖宮が隣接地に遷座した。沖宮は戦後になって再度遷座している。

昭和19年(1944年)10月、戦炎にて炎上。戦後、昭和37年(1962年)に仮殿を建て、現在に至る。

【ご利益】
必勝祈願・勝運、子宝・子孫繁栄など
安里八幡宮 - 矢と鐘、琉球王の喜界島討伐を加護し戦勝に導いた琉球八社唯一の八幡神
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