源為朝の頃の創祀とも、15世紀に那覇港で古木を得て創建された船・航海の守護神
[住所]沖縄県那覇市奥武山町44
[電話]098-857-3293
沖宮(おきのぐう)は、沖縄県那覇市奥武山町にある神社。琉球八社の一つで、近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
初めは霊木がまつられていたという。その根源は奥武山の天燈山にあり、そこに鎮まる神を、天受久女龍宮王御神と称え、天智門女龍宮王御神・天受賀女龍宮王御神とともに天照大御神とする。
天龍大御神・天久臣乙女王御神・天芳子乙女王御神・天仁子乙女王御神・天来子乙女王御神も祀り、熊野三神として、伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の熊野権現を祀る。
創建は不詳だが、琉球に渡った伝説のある源為朝(1139年-1170年?)の頃とも伝わる。景泰2年(1451年、宝徳3年)の尚金福王の時代とも。
正徳3年(1713年)の『琉球王国由来記』によると、尚金福王の頃に那覇港内で不思議に輝くものを国王が首里城から確認、探査を命じると、尋常ならざる古木を得たという。
以来、歴代国王はじめ一般からの崇敬が厚く、特に神船玉神として、中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信された。別当は臨海寺。
琉球舞踊に、旅の無事を祈る「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル……」とある「沖」は、当宮を指すとされる。
創建以来、船・航海の守護神として、現在の那覇港にあったが、明治41年(1908年)、築港工事のため、同じく琉球八社の一つである安里八幡宮の境内地隣域に遷座した。
古式ゆかしい本殿は、昭和13年(1938年)に国宝に指定されたが、第二次世界大戦により焼失。昭和36年(1961年)に通堂町に仮遷座、昭和50年(1975年)8月に現在地の奥武山公園内に遷座した。
5月11日(旧暦3月23日)に春の例大祭が、10月17日(旧暦9月5日)に秋の例大祭がある。年間を通じて独特の祭事があり、沖縄独自の信仰に基づく「御嶽」崇拝の特徴を色濃く残す。
境内末社として、住吉神社・八坂神社・弁財天宮・権現堂・祖霊舎がある。
【ご利益】
航海安全・水難除け、無事の帰還、商売繁盛など(公式HP)
【関連記事】
・琉球八社 - 「官社の制」として琉球王朝から特に崇敬された熊野権現を中心とした神社
・沖縄県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、沖縄県に鎮座している神社の一覧
[電話]098-857-3293
沖宮(おきのぐう)は、沖縄県那覇市奥武山町にある神社。琉球八社の一つで、近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
初めは霊木がまつられていたという。その根源は奥武山の天燈山にあり、そこに鎮まる神を、天受久女龍宮王御神と称え、天智門女龍宮王御神・天受賀女龍宮王御神とともに天照大御神とする。
天龍大御神・天久臣乙女王御神・天芳子乙女王御神・天仁子乙女王御神・天来子乙女王御神も祀り、熊野三神として、伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の熊野権現を祀る。
創建は不詳だが、琉球に渡った伝説のある源為朝(1139年-1170年?)の頃とも伝わる。景泰2年(1451年、宝徳3年)の尚金福王の時代とも。
正徳3年(1713年)の『琉球王国由来記』によると、尚金福王の頃に那覇港内で不思議に輝くものを国王が首里城から確認、探査を命じると、尋常ならざる古木を得たという。
以来、歴代国王はじめ一般からの崇敬が厚く、特に神船玉神として、中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信された。別当は臨海寺。
琉球舞踊に、旅の無事を祈る「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル……」とある「沖」は、当宮を指すとされる。
創建以来、船・航海の守護神として、現在の那覇港にあったが、明治41年(1908年)、築港工事のため、同じく琉球八社の一つである安里八幡宮の境内地隣域に遷座した。
古式ゆかしい本殿は、昭和13年(1938年)に国宝に指定されたが、第二次世界大戦により焼失。昭和36年(1961年)に通堂町に仮遷座、昭和50年(1975年)8月に現在地の奥武山公園内に遷座した。
5月11日(旧暦3月23日)に春の例大祭が、10月17日(旧暦9月5日)に秋の例大祭がある。年間を通じて独特の祭事があり、沖縄独自の信仰に基づく「御嶽」崇拝の特徴を色濃く残す。
境内末社として、住吉神社・八坂神社・弁財天宮・権現堂・祖霊舎がある。
【ご利益】
航海安全・水難除け、無事の帰還、商売繁盛など(公式HP)
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