1450年代に霊夢が契機に創建された、社殿をつなぐアーチ状の石造階段が特徴的
[住所]沖縄県那覇市首里末吉町1-8
[電話]098-868-2717 - 波上宮
末吉宮(すえよしぐう)は、沖縄県那覇市首里末吉町にある神社。現在は波上宮の兼務神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、波上宮に問い合わせる必要がある。
琉球八社の一つで、近代社格では無格社。大慶山権現・末吉権現・末吉神社などとも。末吉宮跡として、国の史跡。
主祭神として、伊弉冉尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまをのみこと)・事解男尊(こよさかをのみこと)を熊野権現として祀っている。
また、別鎮斎として、土祖神(つちみおやかみ)・澳津彦命(おくつひこのみこと)・澳津姫命(おくつひめのみこと)・産土神(うぶすなのかみ)を祀る。
沖縄独自の信仰に基づく「御嶽」崇拝の特徴を色濃く残す。
康熙52年(1713年、和暦では正徳3年)の『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』の「大慶山万寿寺」の段にある「大慶山権現縁起」には、景泰年間(1450年-1457年)の創建で、下記のような伝承が残る。
琉球王国の第6代国王尚泰久王の御世、天界寺の前住職であった鶴翁和尚が壮年の頃に倭国で修行していた際、熊野の方に向かって「もし、私が学道の修行を成就したなら、帰国して本意の後、熊野へ参詣致します」と誓った。
やがて学道修行は成就し、帰国して住持となったことから、誓願を果たすべく尚泰久王に暇請いを願い出たが、王はこれを許さなかった。
ある時、夢に人が現れ、「師よ志を遂げたいと欲するなら、是より北山に向かって大きな声で呼びなさい。応ずる所に霊験があるだろう。そこが即ち居所である。私は熊野権現である」と言った。
和尚はその後、一峰に到り声を上げると前の山に響くところがあった。そこを尋ねたところ、崎嶇嶃岩(きくせんがん)としてあたかも霊地、人跡およばざる場所であった。
そこに鬼面が一つあり、すなわち霊験であるとこれを拝んだ。
このことを王殿に奏したところ、王もまた霊夢を見たことから、この出来事が意味なきことではないだろうと、この地に大社を建立。また、和尚が1枚の鏡を得たが、霊光を放つので社殿内陣に蔵した。
近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては識名宮が熊野本宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に擬せられたが、当宮は熊野新宮に見立てられた。
本殿・拝殿・祭場からなり、拝殿は明治の末に倒失したが、何よりもこれらを結ぶ独特の石造階段、アーチ状のその造形が人目を引く。全体と本殿は戦前に旧国宝に指定されていた。
【ご利益】
学業成就・技芸成就、事始の神、縁結び・子孫繁昌
![末吉宮 - 1450年代に霊夢が契機に創建された、社殿をつなぐアーチ状の石造階段が特徴的](https://livedoor.blogimg.jp/buccyake_kojiki/imgs/e/5/e5fc9092.jpg)
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末吉宮(すえよしぐう)は、沖縄県那覇市首里末吉町にある神社。現在は波上宮の兼務神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、波上宮に問い合わせる必要がある。
琉球八社の一つで、近代社格では無格社。大慶山権現・末吉権現・末吉神社などとも。末吉宮跡として、国の史跡。
主祭神として、伊弉冉尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまをのみこと)・事解男尊(こよさかをのみこと)を熊野権現として祀っている。
また、別鎮斎として、土祖神(つちみおやかみ)・澳津彦命(おくつひこのみこと)・澳津姫命(おくつひめのみこと)・産土神(うぶすなのかみ)を祀る。
沖縄独自の信仰に基づく「御嶽」崇拝の特徴を色濃く残す。
康熙52年(1713年、和暦では正徳3年)の『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』の「大慶山万寿寺」の段にある「大慶山権現縁起」には、景泰年間(1450年-1457年)の創建で、下記のような伝承が残る。
琉球王国の第6代国王尚泰久王の御世、天界寺の前住職であった鶴翁和尚が壮年の頃に倭国で修行していた際、熊野の方に向かって「もし、私が学道の修行を成就したなら、帰国して本意の後、熊野へ参詣致します」と誓った。
やがて学道修行は成就し、帰国して住持となったことから、誓願を果たすべく尚泰久王に暇請いを願い出たが、王はこれを許さなかった。
ある時、夢に人が現れ、「師よ志を遂げたいと欲するなら、是より北山に向かって大きな声で呼びなさい。応ずる所に霊験があるだろう。そこが即ち居所である。私は熊野権現である」と言った。
和尚はその後、一峰に到り声を上げると前の山に響くところがあった。そこを尋ねたところ、崎嶇嶃岩(きくせんがん)としてあたかも霊地、人跡およばざる場所であった。
そこに鬼面が一つあり、すなわち霊験であるとこれを拝んだ。
このことを王殿に奏したところ、王もまた霊夢を見たことから、この出来事が意味なきことではないだろうと、この地に大社を建立。また、和尚が1枚の鏡を得たが、霊光を放つので社殿内陣に蔵した。
近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては識名宮が熊野本宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に擬せられたが、当宮は熊野新宮に見立てられた。
本殿・拝殿・祭場からなり、拝殿は明治の末に倒失したが、何よりもこれらを結ぶ独特の石造階段、アーチ状のその造形が人目を引く。全体と本殿は戦前に旧国宝に指定されていた。
【ご利益】
学業成就・技芸成就、事始の神、縁結び・子孫繁昌
![末吉宮 - 1450年代に霊夢が契機に創建された、社殿をつなぐアーチ状の石造階段が特徴的](https://livedoor.blogimg.jp/buccyake_kojiki/imgs/e/5/e5fc9092.jpg)
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