肥前国彼杵郡・大村藩総鎮守、7月には祇園祭・夏越祭、10月にはおくんち大祭
[住所]長崎県大村市宮小路2-537
[電話]0957-55-8450

昊天宮(こうてんぐう)は、長崎県大村市にある神社。昊天宮神社とも。肥前国彼杵郡の総鎮守。諏訪神社亀山八幡宮とともに長崎三社参りの一社。参拝すれば、「大村藩総鎮守」などとある御朱印を頂ける。

御祭神は、本殿六座が伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、昊天六社大明神と総称する。

相殿が二座で、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、素戔嗚命(すさのおのみこと)。大村初代当主大村直純を永承年間(1046年-1053年)に副祭している。

天正2年(1574年)に古記録を焼失しており、創建年代などは不詳。元明天皇の和銅5年(712年)、行基菩薩が御神体を郡岳の聖域で謹製奉納したと伝わる。平成24年(2012年)には御神体御鎮座千三百大祭が行われた。

直純奉斎後、大村氏の一貫した崇敬を受け、田畑の寄進などもあり、文明年間(1469年-1487年)頃までは、社殿も華麗広大で、郡内はもちろん、他郡から貴賤老幼の参詣者が群をなし、祭典も華やかだったと伝わる。

文明6年(1474年)12月29日、大村純伊は有馬氏と萱瀬で数度合戦して勝利なく、佐々加々良ヶ島に潜居7年に及んだ。文明12年(1480年)8月9日に帰領、海路大村へ進撃して当社に詣で、境内に陣を敷いた。

これを聞き伝えた宮小路・黒丸・沖田の領民たちは大喜びで先を争って駆け付け、待ちわびた領主の姿を見て、うれし涙を流しながら早速食事の用意に取りかかったという。こうしてできたのが、大村寿司といわれている。

日本初のキリシタン大名・大村純忠は純伊の孫にあたる。天正15年(1587年)の豊臣秀吉の九州平定に従い、戦後の九州国分では長子の喜前が領地を安堵された。

喜前は関ヶ原の戦いでは東軍に属し、江戸幕府開府後も本領を安堵された。その後も転封もなく、大村藩は古来よりの領地のまま明治維新を迎えた極めて稀な藩である。

藩主以下、家臣や郷民に崇敬された当社は、大村藩総鎮守とされ、幸天神社などとも改名した。祭礼には彼杵郡48ヶ村により、氏子・崇敬者が群をなせりとあり、流鏑馬などの神事が盛大に奉納されたともいう。

明治22年(1889年)4月、町村が規制されてからは竹松村のみの奉仕となり、一時は竹松神社と称したが、昭和36年(1961年)9月、現社号に復した。

境内には「桃の大石」と呼ばれる桃の形をした大きな石があり、石を撫ででお参りすると、桃太郎のような元気な男の子を授かり、石を撫でずにお参りすると元気な女の子が授かるといわれている。

三大祭りとして、7月中旬に祇園祭、7月末に夏越祭、10月におくんち大祭がある。祇園祭では、「昊天太鼓」が演じられ、千灯籠が名物とされる。

「物事がこうてんしますように」という語呂合わせでも知られる神社。現在では、保育園(大村市竹松町713番地3)やコミュニティーセンターがある。

【ご利益】
開運・旗上げ・厄除け・旅行の守護神(公式HP
昊天宮 - 肥前国彼杵郡・大村藩総鎮守、7月には祇園祭・夏越祭、10月にはおくんち大祭
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