江戸期以来の由緒物「夢枕」の伝統「吉夢」が頒布される、往時は妻恋稲荷
[住所]東京都文京区湯島3-2-6
[電話]03-3833-7648

妻恋神社(つまごいじんじゃ)は、東京都文京区湯島にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、「妻戀神社」などとある御朱印を頂ける。

平成25年 (2013年)に東日本大震災の復興発展祈願として頒布を開始した「吉夢(よいゆめ)」と絵馬「吾妻はや」も有名で、これらの授与品や御朱印の通信販売がある。

当社の創建年代等については不詳。日本武尊が東征の折、三浦半島から房総へ渡る時大暴風雨に会い、妃の弟橘媛(弟橘姫命)が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った。

その後、東征を続ける尊が湯島の地に滞在、郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで尊と妃を祀ったのが当社の起源とされる。

社伝では、第52代嵯峨天皇(809年-823年)の勅命により関東惣社に列し、正一位を賜り、関東総司妻戀大明神と唱えたという。妻恋明神とも。

当初は今の天神町一丁目、いわゆる元妻戀にあったが、万治年間(1658年-1661年)に現在地に遷座したという。この頃、稲荷明神(倉稲魂命)が合祀されたようだ。

江戸時代には「妻恋稲荷」と呼ばれ、関東惣社・関東総司を継承し、王子稲荷神社と並んで参拝客が多かったという。『江戸名所図会』にも記載がある。明治5年(1872年)11月、村社に列した。

後には磐裂神、磐筒男神、根裂神、磐筒女神、経津主神、徳川家康を合祀し、さらに明治41年(1908年)8月に金刀比羅大神を合祀した。例祭は3月上旬。

江戸時代から当社に伝わる木版刷りの由緒物「夢枕」の図柄はめでたい宝船と鶴亀の2種あって、正月二日の夜、絵を枕の下に敷いて寝るとよい初夢を見るといわれていた。

現在の「吉夢」の起源だが、万治年間に創案されたこの夢枕の版木は、戦災で焼失したと考えられていたが、昭和52年(1977年)12月、摺師の家で発見された。

当社の前の坂を妻恋坂といい、『新撰東京名所図会』などにも記載がある。大超坂・大潮坂・大長坂・大帳坂と別名を多く持つ坂である。

群馬県太田市の冠稲荷神社では、自社と当社などを含め、日本七社(日本七稲荷)などと呼んでいるのは、当社が関東総司・妻恋稲荷と呼ばれていた時の名残を示すもの。

【ご利益】
縁結び、夫婦和合、武運長久、勝運、必勝祈願(公式HP
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妻恋神社の御朱印