藤原秀郷が天慶年間に勧請した一社が後に遷座、江戸中期の銅製鳥居
[住所]栃木県佐野市田沼町1404
[電話]0283-62-0306
一瓶塚稲荷神社(いっぺいづかいなりじんじゃ)は、栃木県佐野市田沼町にある神社。近代社格では郷社。田沼稲荷神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は豊受姫大神・猿田彦大神・大宮能売大神・久々能智大神・草野姫大神。
社伝によると、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が天慶5年(942年)、相州鎌倉松ケ岡稲荷大明神を詣で、関八州管領の地に四社を勧請し関東稲荷社と称した一社だという。
その四社とは、武蔵国鴉森、武蔵国王子、上野国新福院、下野国富士村。
その後、文治2年(1186年)5月15日、秀郷の裔佐野荘司讃岐守成俊が唐沢城再興の際、田沼の地に一丘を築き、下野国富士村の稲荷大明神、現在の大栗鎮座の関東五社稲荷神社を勧請したのが当社。
以来、佐野荘百数十郷の総社として崇敬された。一瓶塚の由来は、近郷近在の人々は競って瓶に土を入れてこの地に運び、塚を築いたのでこの塚を一瓶塚と呼び、そこに当社を建立したためとされる。
ただし『明治神社誌料』によると、当社は『下野国志』に山城稲荷明神(伏見稲荷大社か)からの勧請とあり、また、藤原鎌足が創建した社を、武蔵、上野、下野に遷座したという伝説もあり、三ケ国惣社と称されたとも。
延享3年(1746年)には佐野荘の人々の協力によって銅製鳥居が奉納され、現存している。現在は国の重要美術品に認定されている。
5月15日が春祭、11月15日が秋祭。3月初めの午の日を中心に初午祭がある。
境内社として、月読宮、淡島神社、天満宮、染殿神社、市廛神社、太子神社、八坂神社、浅間神社、雷電神社がある。
駐車場がある。なお、上述の四社、あるいは五社とも関連するのかもしれないが、冠稲荷神社では、自社と当社などを含め、日本七社(日本七稲荷)などと呼んでいる。
【ご利益】
家内安全・商売繁昌・交通安全・健康長寿など(栃木県神社庁)

【関連記事】
・日本七社 - 主に冠稲荷神社が提唱する関東を中心とした七つの稲荷神社、日本七稲荷
・栃木県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、栃木県に鎮座している神社の一覧
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一瓶塚稲荷神社(いっぺいづかいなりじんじゃ)は、栃木県佐野市田沼町にある神社。近代社格では郷社。田沼稲荷神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は豊受姫大神・猿田彦大神・大宮能売大神・久々能智大神・草野姫大神。
社伝によると、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が天慶5年(942年)、相州鎌倉松ケ岡稲荷大明神を詣で、関八州管領の地に四社を勧請し関東稲荷社と称した一社だという。
その四社とは、武蔵国鴉森、武蔵国王子、上野国新福院、下野国富士村。
その後、文治2年(1186年)5月15日、秀郷の裔佐野荘司讃岐守成俊が唐沢城再興の際、田沼の地に一丘を築き、下野国富士村の稲荷大明神、現在の大栗鎮座の関東五社稲荷神社を勧請したのが当社。
以来、佐野荘百数十郷の総社として崇敬された。一瓶塚の由来は、近郷近在の人々は競って瓶に土を入れてこの地に運び、塚を築いたのでこの塚を一瓶塚と呼び、そこに当社を建立したためとされる。
ただし『明治神社誌料』によると、当社は『下野国志』に山城稲荷明神(伏見稲荷大社か)からの勧請とあり、また、藤原鎌足が創建した社を、武蔵、上野、下野に遷座したという伝説もあり、三ケ国惣社と称されたとも。
延享3年(1746年)には佐野荘の人々の協力によって銅製鳥居が奉納され、現存している。現在は国の重要美術品に認定されている。
5月15日が春祭、11月15日が秋祭。3月初めの午の日を中心に初午祭がある。
境内社として、月読宮、淡島神社、天満宮、染殿神社、市廛神社、太子神社、八坂神社、浅間神社、雷電神社がある。
駐車場がある。なお、上述の四社、あるいは五社とも関連するのかもしれないが、冠稲荷神社では、自社と当社などを含め、日本七社(日本七稲荷)などと呼んでいる。
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