「赤石さん」として親しまれる式内社の最北端、9月の例祭は秋祭り
[住所]岩手県紫波郡紫波町桜町本町川原1
[電話]019-672-2767
志賀理和氣神社(しがりわけじんじゃ/しかりわけじんじゃ、志賀理和気神社)は、岩手県紫波郡紫波町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「志賀理和気神社(陸奥国・斯波郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
別称として「赤石神社」「浮島明神」とも。地元では「赤石さん」として親しまれている。日本最北端に位置する式内社として知られる。なお、出羽国の副川神社も日本最北の式内社を称す。
御祭神は、経津主神・武甕槌神・大己貴神・少彦名神、保食神・猿田彦神・船霊神(ふなだまのかみ)。
社伝では、平安時代の延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が東北開拓守護神として香取神・鹿島神を勧請したことに始まるという。
9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでいる。
国史での初見は、仁寿2年(852年)に「志賀理和気神」の神階が正五位下に昇叙された旨の記事である。
律令制の崩壊の後、中世の史料はなく、その頃の様子は不詳。式内社であることも忘れられるほど荒廃していたと見られ、近世初頭には赤石を御神体としたことに由来して「赤石大明神」と称されていた。
この赤石に関する伝承として、高水寺城主の斯波詮直(1548年?-1597年?)が当地を通った際、北上川の川底に赤石があって水波が紫色に漂うので、下記を詠んだという。
18世紀中頃には式内社の由緒を復活し、社殿も再建された。天明5年(1785年)に当地を旅した菅江真澄の紀行文にも、当社を式内社の志賀理和気神社とする記載が見える。
また、当社は盛岡藩主の南部氏から崇敬され、「南部一の宮」の号が献じられたという。別当寺は赤石山遍照寺、後に光林寺。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に郷社に列し、大正13年(1924年)3月26日に県社に昇格。なお、この間の明治41年(1908年)・大正2年(1913年)の2度、国幣社昇格の請願を行なっている。
参道には約30本からなるサクラの高木が立ち並んでいる。これらのうち、最大木は根元周り6.8メートル、樹高11メートルで、樹齢約500年と推定される。
県下のヒガンザクラ系の集団としては最古で、「南面のサクラ」として町指定天然記念物に指定されている。
例祭は9月第1金・土・日曜日で、例大祭、秋祭。数々の芸能が披露され、4台の豪華な山車が町内を練り歩く。神輿は総ヒノキ。1月15日がどんと祭。
境内社として、坂下稲荷神社・小野藤稲荷神社・赤石天満宮がある。
【ご利益】
勝運・必勝祈願、家内安全、安寧平安
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志賀理和氣神社(しがりわけじんじゃ/しかりわけじんじゃ、志賀理和気神社)は、岩手県紫波郡紫波町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「志賀理和気神社(陸奥国・斯波郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
別称として「赤石神社」「浮島明神」とも。地元では「赤石さん」として親しまれている。日本最北端に位置する式内社として知られる。なお、出羽国の副川神社も日本最北の式内社を称す。
御祭神は、経津主神・武甕槌神・大己貴神・少彦名神、保食神・猿田彦神・船霊神(ふなだまのかみ)。
社伝では、平安時代の延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が東北開拓守護神として香取神・鹿島神を勧請したことに始まるという。
9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでいる。
国史での初見は、仁寿2年(852年)に「志賀理和気神」の神階が正五位下に昇叙された旨の記事である。
律令制の崩壊の後、中世の史料はなく、その頃の様子は不詳。式内社であることも忘れられるほど荒廃していたと見られ、近世初頭には赤石を御神体としたことに由来して「赤石大明神」と称されていた。
この赤石に関する伝承として、高水寺城主の斯波詮直(1548年?-1597年?)が当地を通った際、北上川の川底に赤石があって水波が紫色に漂うので、下記を詠んだという。
けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て引き揚げられた赤石は現在も境内に祀られている。
18世紀中頃には式内社の由緒を復活し、社殿も再建された。天明5年(1785年)に当地を旅した菅江真澄の紀行文にも、当社を式内社の志賀理和気神社とする記載が見える。
また、当社は盛岡藩主の南部氏から崇敬され、「南部一の宮」の号が献じられたという。別当寺は赤石山遍照寺、後に光林寺。
明治維新後、明治4年(1871年)10月に郷社に列し、大正13年(1924年)3月26日に県社に昇格。なお、この間の明治41年(1908年)・大正2年(1913年)の2度、国幣社昇格の請願を行なっている。
参道には約30本からなるサクラの高木が立ち並んでいる。これらのうち、最大木は根元周り6.8メートル、樹高11メートルで、樹齢約500年と推定される。
県下のヒガンザクラ系の集団としては最古で、「南面のサクラ」として町指定天然記念物に指定されている。
例祭は9月第1金・土・日曜日で、例大祭、秋祭。数々の芸能が披露され、4台の豪華な山車が町内を練り歩く。神輿は総ヒノキ。1月15日がどんと祭。
境内社として、坂下稲荷神社・小野藤稲荷神社・赤石天満宮がある。
【ご利益】
勝運・必勝祈願、家内安全、安寧平安
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