神武期に創祀、崇神期に整備、お百度参りや刀剣などが有名、東京分祀も
[住所]大阪府東大阪市東石切町1-1-1
[電話]072-982-3621

石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ、石切劔箭神社)は、大阪府東大阪市東石切町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

「石切さん」「いしきりさん」「でんぼの神様」として親しまれている。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 河内郡「石切剣箭命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。現在は、神社本庁に属さない単立神社である。

本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。

御祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)と、その御子である可美真手命(うましまでのみこと)で、「石切大明神」と総称される。

代々の社家である木積家には、初代神武天皇の皇紀2年(紀元前659年)に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを起源とすると伝わる。

さらに、第10代崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたという。

木積の姓はもとは穂積と言い、饒速日尊の七世孫にあたる伊香色雄命が初めて名乗ったものとされる。『古事記』にも描かれた、イカガシコオの祭祀準備との関連をうかがわせる。

現在確認できる文献では、『日本三代実録』に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられる(貞観7年=865年)。

宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年(1905年)には現在の本社本殿に合祀された。

その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年(1932年)に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、昭和47年(1972年)に往古の姿を取り戻した。

昭和50年(1975年)には東京都文京区に分祀され「石切東京分祀」が鎮座している。上之宮の、さらに奥には「奥宮」があるが、荒廃している。

境内には、亀の池が有名な水神社(罔象女神天水分神)、五社明神社(恵比須大神・大国主大神住吉大神・稲荷大神・八幡大神)、神武社(神武天皇)、穂積神霊社、乾明神社、穂積地蔵尊がある。

他に上之社神苑に婦道神社・八代龍王社、上之社に隣接して登美霊社(御祭神:饒速日尊の妃神である三炊屋媛)がある。

例祭は10月22日。秋季大祭で、神恩とその年の豊作に感謝御礼を捧げる。巫女が笛、太鼓の音とともに神笹と忌湯を使い、罪穢れを祓い清める「御湯神楽」が奉納される。

大祭期間中の10月21日-22日は穂積殿宝物館で刀剣の石切丸や小狐丸など御神宝が一般公開される。10月18日-19日では氏子地区で布団太鼓が3台巡行する。

なお、当社・若江鏡神社玉祖神社という三式内社を直線でつなぐと、正三角形を形作ることでも知られている。

【ご利益】
病気平癒、商売繁盛、良縁、学業成就、家内安全、交通安全など(公式HP
石切剣箭神社 - 神武期に創祀、崇神期に整備、お百度参りや刀剣などが有名、東京分祀も
【関連記事】
河内国式内三社のトライアングルとは? - 物部系の玉祖神社・石切剣箭神社・若江鏡神社
『日本の神社全国版(108) 2016年 3/8 号 [雑誌]』 - 磐船神社・石切剣箭神社・誉田八幡宮
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
石切剣箭神社の御朱印