江戸期から鎮座する源義経伝説ゆかりの社、8月に例大祭、お守り
[住所]北海道沙流郡平取町本町119-1
[電話]01457-2-2432
義経神社(よしつねじんじゃ)は、北海道沙流郡平取町にある神社。御祭神は社号の通り、源義経。参拝すれば、「危難防除」などとある御朱印を頂ける。
寛政10年(1798年)、北方調査のため蝦夷地に来た近藤重蔵らが、翌1799年(寛政11年)、仏師に作らせた源義経の神像を奉斎したのが始まりだという。
一説に近藤らがアイヌが崇敬していたオキクルミ(アイヌラックル)という英雄を義経と同一視していたため、神像を与え、祀らせたとも。
社伝によれば、義経一行は、むかし蝦夷地白神(現 福島町)に渡り、西の海岸を北上し、羊蹄山を廻って、日高ピラトリ(現 平取町)のアイヌ集落に落ち着いた。
そこで農耕、舟の製作法、機織りなどを教え、アイヌの民から「ハンガンカムイ」(判官の神ほどの意味か)あるいは「ホンカンカムイ」と慕われたという。
他にアイヌの民の間ではアイヌの民から様々な宝物を奪った大悪人だという伝承もあり、義経に裏切られて女の子(メノコ)が自殺を遂げた場所も存在する。
平村ペンリウクによって義経像は現在地に遷宮された。境内敷地内に義経資料館があり、義経にまつわるあらゆる資料が展示している。
例祭は8月14日-16日で、例大祭。初詣も含めて、参拝者も多く、町民に厚く崇敬されている。
義経をあしらった勝守や、その他の御守など授受品も人気がある。当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
岩手県紫波郡紫波町の判官堂も、義経神社とも呼ばれる。
【ご利益】
危難・厄災除け、勝運

【関連記事】
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・北海道の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、北海道に鎮座している神社の一覧
[電話]01457-2-2432
義経神社(よしつねじんじゃ)は、北海道沙流郡平取町にある神社。御祭神は社号の通り、源義経。参拝すれば、「危難防除」などとある御朱印を頂ける。
寛政10年(1798年)、北方調査のため蝦夷地に来た近藤重蔵らが、翌1799年(寛政11年)、仏師に作らせた源義経の神像を奉斎したのが始まりだという。
一説に近藤らがアイヌが崇敬していたオキクルミ(アイヌラックル)という英雄を義経と同一視していたため、神像を与え、祀らせたとも。
社伝によれば、義経一行は、むかし蝦夷地白神(現 福島町)に渡り、西の海岸を北上し、羊蹄山を廻って、日高ピラトリ(現 平取町)のアイヌ集落に落ち着いた。
そこで農耕、舟の製作法、機織りなどを教え、アイヌの民から「ハンガンカムイ」(判官の神ほどの意味か)あるいは「ホンカンカムイ」と慕われたという。
他にアイヌの民の間ではアイヌの民から様々な宝物を奪った大悪人だという伝承もあり、義経に裏切られて女の子(メノコ)が自殺を遂げた場所も存在する。
平村ペンリウクによって義経像は現在地に遷宮された。境内敷地内に義経資料館があり、義経にまつわるあらゆる資料が展示している。
例祭は8月14日-16日で、例大祭。初詣も含めて、参拝者も多く、町民に厚く崇敬されている。
義経をあしらった勝守や、その他の御守など授受品も人気がある。当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
岩手県紫波郡紫波町の判官堂も、義経神社とも呼ばれる。
【ご利益】
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