サルタヒコとアメノウズメが結婚して住んだ地、芸能・恋愛の神として人気
[住所]宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井667
[電話]0982-72-2368
荒立神社(あらたてじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御朱印帳やお守りなども人気がある。
猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと) の2柱を主祭神とし、大年神、迫天満、当地一帯に住む興呂木(こおろぎ)家の先祖を祀る。
猿田彦命は記紀に天孫降臨の道案内をした神であると記され、道開きの神として知られ、また、天鈿女命は同じく記紀に天照大神が天の岩戸に隠れた際に、楽しげに舞い踊った神として知られている。
こうしたことから、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、夫婦和合、安産、長寿祈願、芸事の上達、厄除け、子宝、長寿などに利益があるとされている。
特に芸能の神様として知られ、モデルや俳優をはじめとする多くの芸能人が参拝することで知られる。芸能の神、夫婦和合・縁結びの神として厚く崇敬されている。
また、芸能だけでなく健康や恋愛など、「7つ」の願いが叶うとされ、神社好きの女子が必ず訪れる場所になっている。
社伝によれば、猿田彦命の先導で当地に天孫降臨が行われ、猿田彦命は当地で降臨に供奉した天鈿女命と結婚して当地に住むこととなった。
しかし、この結婚が急であったために切り出したばかりの荒木で宮居を建てなければならなかったとの言い伝えが残った。
後世この2柱を祀る神社を創祀する際にその故事にちなんで社殿を白木造とした事から「荒建宮」と称したと伝える。「立」字は「建」を変えたもの。
なお、猿田彦命は縄文人(国津神)で天鈿女命は渡来人(天津神)である弥生人であり、この2柱の婚姻を国際結婚と見る説もある。
明治になって村社に列し、明治末(20世紀初頭)の神社合祀政策により高千穂神社に合祀され廃社とされるが、後に復社されて現在に至る。
なお、当社に伝わる神像4躯は県の有形文化財に指定されているが、高千穂神社に合祀された際に同社へ移されたために、現在は同社の所蔵となっている。
『日本書紀』では、猿田彦命は天孫降臨の地を予見するにとどまり、文脈からは直接伊勢の地に向かっている。
猿田彦命が九州まで来たとする文脈は『古事記』にしか見られない。猿田彦命の九州での活動が伝わる貴重な社伝と言える。
境内には七福徳寿板木(しちふくとくじゅばんぎ)がある。この板木を心をこめて力強く7回打つと願いが叶うとされる。
また、未来板木(みらいばんぎ)が設置され、他にも板木がある。境内を散策しながら板木を打ち願いを込める参拝客が後を絶たないという。
「7」の数字にこだわるのは、猿田彦命の鼻長が七咫、背長は七尺と伝わっているため。鼻の長さが126センチ、身長は231センチとなる。
猿田彦命の身体的特徴は『古事記』にあまりなく、『日本書紀』に少し触れられている。
また、境内には石造や木彫りのフクロウの像が安置されている。フクロウは「不苦労」などにつながる縁起物。
高千穂神社、槵觸神社との高千穂の三社参りの一社としても知られる。
【ご利益】
夫婦円満、縁結び、所願成就、交通安全、教育、歌や舞・芸能の神

【関連記事】
・高千穂の三社参り - 高千穂神社、槵触神社、荒立神社の三社巡拝、宮崎のパワースポット
・サルタヒコ殺人事件 - 伊勢神宮の創建に関連? 国譲りに匹敵する大和政権のトラウマか?
・相川七瀬 - 『太陽と月の結び』に掲載されている神社 - 東国と伊勢、京都、対馬・壱岐、宮崎
・宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧
[電話]0982-72-2368
荒立神社(あらたてじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御朱印帳やお守りなども人気がある。
猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと) の2柱を主祭神とし、大年神、迫天満、当地一帯に住む興呂木(こおろぎ)家の先祖を祀る。
猿田彦命は記紀に天孫降臨の道案内をした神であると記され、道開きの神として知られ、また、天鈿女命は同じく記紀に天照大神が天の岩戸に隠れた際に、楽しげに舞い踊った神として知られている。
こうしたことから、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、夫婦和合、安産、長寿祈願、芸事の上達、厄除け、子宝、長寿などに利益があるとされている。
特に芸能の神様として知られ、モデルや俳優をはじめとする多くの芸能人が参拝することで知られる。芸能の神、夫婦和合・縁結びの神として厚く崇敬されている。
また、芸能だけでなく健康や恋愛など、「7つ」の願いが叶うとされ、神社好きの女子が必ず訪れる場所になっている。
参拝した芸能人としては、藤原紀香、永作博美、安美佳(アンミカ)、相川七瀬など。
社伝によれば、猿田彦命の先導で当地に天孫降臨が行われ、猿田彦命は当地で降臨に供奉した天鈿女命と結婚して当地に住むこととなった。
しかし、この結婚が急であったために切り出したばかりの荒木で宮居を建てなければならなかったとの言い伝えが残った。
後世この2柱を祀る神社を創祀する際にその故事にちなんで社殿を白木造とした事から「荒建宮」と称したと伝える。「立」字は「建」を変えたもの。
なお、猿田彦命は縄文人(国津神)で天鈿女命は渡来人(天津神)である弥生人であり、この2柱の婚姻を国際結婚と見る説もある。
明治になって村社に列し、明治末(20世紀初頭)の神社合祀政策により高千穂神社に合祀され廃社とされるが、後に復社されて現在に至る。
なお、当社に伝わる神像4躯は県の有形文化財に指定されているが、高千穂神社に合祀された際に同社へ移されたために、現在は同社の所蔵となっている。
『日本書紀』では、猿田彦命は天孫降臨の地を予見するにとどまり、文脈からは直接伊勢の地に向かっている。
猿田彦命が九州まで来たとする文脈は『古事記』にしか見られない。猿田彦命の九州での活動が伝わる貴重な社伝と言える。
境内には七福徳寿板木(しちふくとくじゅばんぎ)がある。この板木を心をこめて力強く7回打つと願いが叶うとされる。
また、未来板木(みらいばんぎ)が設置され、他にも板木がある。境内を散策しながら板木を打ち願いを込める参拝客が後を絶たないという。
「7」の数字にこだわるのは、猿田彦命の鼻長が七咫、背長は七尺と伝わっているため。鼻の長さが126センチ、身長は231センチとなる。
猿田彦命の身体的特徴は『古事記』にあまりなく、『日本書紀』に少し触れられている。
また、境内には石造や木彫りのフクロウの像が安置されている。フクロウは「不苦労」などにつながる縁起物。
高千穂神社、槵觸神社との高千穂の三社参りの一社としても知られる。
【ご利益】
夫婦円満、縁結び、所願成就、交通安全、教育、歌や舞・芸能の神

【関連記事】
・高千穂の三社参り - 高千穂神社、槵触神社、荒立神社の三社巡拝、宮崎のパワースポット
・サルタヒコ殺人事件 - 伊勢神宮の創建に関連? 国譲りに匹敵する大和政権のトラウマか?
・相川七瀬 - 『太陽と月の結び』に掲載されている神社 - 東国と伊勢、京都、対馬・壱岐、宮崎
・宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧

コメント