平清盛が住した西八条御所、清盛の出世開運を守護、お手植えの樟
[住所]京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
[電話]075-313-8928
若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、京都府京都市下京区にある神社。西大路七福社の一社。御祭神は若一王子(にゃくいちおうじ)。参拝すれば、御朱印を頂ける。
宝亀3年(772年)、光仁天皇の御代、唐から威光上人が渡って来て、天王寺に住したが、紀州熊野(熊野三山)に詣でた時、迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い当地に来て鎮座奉斎したのが創祀。
その後、異変により、土中に埋もれてしまったという。承安年間(1171年-1175年)になって、平清盛が、浅水の森と称され風光明媚の地となっていた当地に別邸を造営して、西八条御所と称した。
仁安元年(1166年)8月、とされるが、先の承安年間より前となるので何らかの錯誤か。清盛が熊野詣でをした際、「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」とのお告げがあったという。
帰京した清盛は、邸内を探したところ、東方築山より夜光を放つものがあり、清盛は歓喜して自ら三尺も穴を掘り起こし、土中より若一王子の御神体が再顕現したという。
社殿を整備し、鎮守として、出世開運を祈願したところ、翌年仁安2年(1167年)2月10日に太政大臣に任ぜられたという。現在も社前には清盛お手植えと伝えられる楠の大樹があって、御神木。
樹齢800年とされるこのクスの下には楠社が建てられ大楠を祀っている。他に銘水・神供水がある。例祭は11月10日。火焚神事がある。
境内社に天正年間(1573年-1593年)に播州高砂神社から勧請した寿命社、正徳5年(1715年)に竹生島(都久夫須麻神社)より勧請した弁財天社、松尾社、伏見稲荷大社から勧請した稲荷社、祖霊社がある。
西八条邸での宴を伝える江戸期の錦絵が残る。清盛に寵愛された祇王が涙しながら歌を一首書き残したというもの。
わら天神宮・平野神社・熊野衣笠分社・大将軍八神社・西院春日神社・吉祥院天満宮とともに、西大路七福社の一社で、毎年1月-2月にご利益めぐりが開催される。
【ご利益】
開運出世、家内安全、開運招福

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若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、京都府京都市下京区にある神社。西大路七福社の一社。御祭神は若一王子(にゃくいちおうじ)。参拝すれば、御朱印を頂ける。
宝亀3年(772年)、光仁天皇の御代、唐から威光上人が渡って来て、天王寺に住したが、紀州熊野(熊野三山)に詣でた時、迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い当地に来て鎮座奉斎したのが創祀。
その後、異変により、土中に埋もれてしまったという。承安年間(1171年-1175年)になって、平清盛が、浅水の森と称され風光明媚の地となっていた当地に別邸を造営して、西八条御所と称した。
仁安元年(1166年)8月、とされるが、先の承安年間より前となるので何らかの錯誤か。清盛が熊野詣でをした際、「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」とのお告げがあったという。
帰京した清盛は、邸内を探したところ、東方築山より夜光を放つものがあり、清盛は歓喜して自ら三尺も穴を掘り起こし、土中より若一王子の御神体が再顕現したという。
社殿を整備し、鎮守として、出世開運を祈願したところ、翌年仁安2年(1167年)2月10日に太政大臣に任ぜられたという。現在も社前には清盛お手植えと伝えられる楠の大樹があって、御神木。
樹齢800年とされるこのクスの下には楠社が建てられ大楠を祀っている。他に銘水・神供水がある。例祭は11月10日。火焚神事がある。
境内社に天正年間(1573年-1593年)に播州高砂神社から勧請した寿命社、正徳5年(1715年)に竹生島(都久夫須麻神社)より勧請した弁財天社、松尾社、伏見稲荷大社から勧請した稲荷社、祖霊社がある。
西八条邸での宴を伝える江戸期の錦絵が残る。清盛に寵愛された祇王が涙しながら歌を一首書き残したというもの。
わら天神宮・平野神社・熊野衣笠分社・大将軍八神社・西院春日神社・吉祥院天満宮とともに、西大路七福社の一社で、毎年1月-2月にご利益めぐりが開催される。
【ご利益】
開運出世、家内安全、開運招福

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