大蛇退治の伝承残る、物事の吉凶を占う神意必顕の御占場がある青龍権現
[住所]青森県十和田市大字奥瀬字十和田湖畔休屋486
[電話]0176-75-2425

十和田神社(とわだじんじゃ)は、青森県十和田市、十和田湖畔の中山半島の付け根にある神社。近代社格では村社。御祭神は日本武尊。江戸時代には十和田山青龍大権現が祀られており、現在も奥の院に祀られている。参拝すれば、「青龍」などとある御朱印を頂ける。

水神信仰と考えられ、青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた。その縁起には二通りの説があるとされる。特段矛盾するものでもなく、二つの説が双方あったとしてもおかしくはない。

一つは大同2年(807年)、征夷大将軍坂上田村麻呂による創建とするもの。東征のおり湖が荒れて渡れず、祠を建てて日本武尊を奉斎して祈願しイカダを組んで渡ったという。

もう一つは、南祖坊(南蔵坊、南草坊とも)によるもの。熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きたという。

当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが、湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、湖を支配していた。そこで、南祖坊は、その霊験により九頭の龍に変化し、二十尋(約36メートル)の身体を、十曲(とわだ)に曲げ、八郎太郎を退治した。

法量神社の近くにある、有名な「法量のイチョウ」にも関連伝承が残る。当社には、南祖坊を青龍権現として崇め祀った名残りが今もあり、境内の熊野神社には彼の履いていたという鉄の草鞋が奉納されている。

その後荒廃していたのを建武元年(1334年)、北畠顕家に従って当地に来た甲州南部氏が、甲斐白鳥の宮(山梨県富士吉田市明見の白鳥神社か)の御祭神を勧請して再興した。

山中へ150メートル程入った頂きの平場から、鉄の梯子をつたって降りたところに御占場がある。神意必顕の聖地とされ、南祖坊入水の場とも伝わる。

梯子は現在、通行禁止になっており、乙女の像の前に広がる御前ヶ浜に投げ入れるか、十和田湖遊覧船で十和田神社占場経由便に乗る。

物事の吉凶を占う場として信仰を集め、お金やお米を白紙にひねったものや、宮司が神前に供えて祈念をこらした「おより紙」を湖に投げ入れると、願いが叶うときには水底に引き込まれて沈み、叶わない時は波にさらわれ沖へ流される。

例祭は旧5月14日・15日。

海上自衛隊の補給艦「とわだ」の艦内神社に分祀したという。

【ご利益】
物事の吉凶を占う
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とわだ - Wikipedia