縁起物
招き猫(まねきねこ)とは、前足で人を招く形をした猫の置物で、縁起物。猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあった。弥生時代の高床式倉庫にねずみ返しが付いていることから考えても、鼠害と日本人の戦いの歴史は古く、その分、猫の重宝、そこから転じた畏敬の念、その歴史の積み重ねは相当なものであることが分かる。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
ここが日本の古来からの感性の豊かさを象徴していて、猫が正義、ねずみが害獣という、決して単純な二元論に陥ることなく、「ねずみにもイイところはあるんだよ」とでも言うかのように、猫の記載がないことで『古事記』は語っているようでもある。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
そこで空海は近くの十二権現(現 黒見神社)に籠り成功を祈願していると、山頂より一匹の猫が現れ、両方の前足を頭の上より高く上げ、しきりに人を招く仕種を繰り返しました。
それ以降、不思議に朝廷から多額の御下賜金が加算され、人夫たちの病も完治し、難工事はたちまちのうちに完成したと伝わる。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
これをきっかけに盛り返すことに成功した太田道灌は、この猫の地蔵尊を自性院に奉納したという。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
すると雷雨が降りはじめた。雨に濡れずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。井伊氏の菩提寺としても栄えた。
また、別伝では、直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。それにつられて直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。落雷直撃回避を感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした。
彦根藩と猫の関わりの伝統は今も継承されている。彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」がそれである。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
老婆は、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。今戸焼発祥の地が今戸神社とされている。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
経営の厳しさにさらされていた地方鉄道にとって、まさに救い神だったが、残念ながら2015年他界。現在は、同駅名誉永久駅長で、同駅に鎮座するたま神社に、たま大明神として祀られている。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら
ことほどかように猫と日本人のかかわりは深い。それを今に伝えているものこそ、招き猫である。福徳を招く縁起物として、おそらく江戸期を通じて熟成された招き猫は、今でも日本において、圧倒的な人気を誇る。
中でもテレビなどでも話題になる、えんぎ屋水晶院の招き猫は、両手を上げ、大金運・大幸運を招くとして、購入者からの評判も良い。
商売繁盛を願う事業者のみならず、むしろ家内安全・健康長寿の縁起物ととらえている人も多いようで、好評だ。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

【関連記事】
・縁起物 - 現世利益を追求数る日本の信仰に欠かせないアイテムたち
招き猫(まねきねこ)とは、前足で人を招く形をした猫の置物で、縁起物。猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあった。弥生時代の高床式倉庫にねずみ返しが付いていることから考えても、鼠害と日本人の戦いの歴史は古く、その分、猫の重宝、そこから転じた畏敬の念、その歴史の積み重ねは相当なものであることが分かる。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

『古事記』と猫
『古事記』に猫は登場しない(と思う)。逆にねずみは登場する。スサノヲによる虐待に追い込まれたオオクニヌシを救出する役割で、鼠害とは程遠い存在(『古事記』該当部分)。実際、狛犬ならぬ狛鼠を置く神社もある。ここが日本の古来からの感性の豊かさを象徴していて、猫が正義、ねずみが害獣という、決して単純な二元論に陥ることなく、「ねずみにもイイところはあるんだよ」とでも言うかのように、猫の記載がないことで『古事記』は語っているようでもある。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

弘法大師(空海)の伝承
平安時代初期、空海(弘法大師)は朝廷の命を受けて讃岐国(香川県)の満濃地灌漑工事に向かったが、資金・人手不足に陥り、人夫の中に病人が出て難航した。そこで空海は近くの十二権現(現 黒見神社)に籠り成功を祈願していると、山頂より一匹の猫が現れ、両方の前足を頭の上より高く上げ、しきりに人を招く仕種を繰り返しました。
それ以降、不思議に朝廷から多額の御下賜金が加算され、人夫たちの病も完治し、難工事はたちまちのうちに完成したと伝わる。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

太田道灌の伝承
時代は変わって室町時代。現在の東京、江古田・沼袋原の戦いで、劣勢に立たされ、道に迷った太田道灌の前に一匹の猫が現れて手招きをし、自性院(東京都新宿区)に案内したという。これをきっかけに盛り返すことに成功した太田道灌は、この猫の地蔵尊を自性院に奉納したという。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

井伊直孝と豪徳寺
江戸時代、彦根藩第二代藩主井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺(東京都世田谷区)の前を通りかかった。その時、この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に濡れずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。井伊氏の菩提寺としても栄えた。
また、別伝では、直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。それにつられて直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。落雷直撃回避を感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした。
彦根藩と猫の関わりの伝統は今も継承されている。彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」がそれである。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

今戸焼の伝承
江戸時代末期、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放した。その後、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と告げた。老婆は、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。今戸焼発祥の地が今戸神社とされている。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

猫の駅長たま
1999年生まれの三毛猫たまは、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めた。就任以来メディアがこぞって報道、その愛くるしさに同線を乗り継ぎ、同駅に降りる客が急増した。経営の厳しさにさらされていた地方鉄道にとって、まさに救い神だったが、残念ながら2015年他界。現在は、同駅名誉永久駅長で、同駅に鎮座するたま神社に、たま大明神として祀られている。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら

ことほどかように猫と日本人のかかわりは深い。それを今に伝えているものこそ、招き猫である。福徳を招く縁起物として、おそらく江戸期を通じて熟成された招き猫は、今でも日本において、圧倒的な人気を誇る。
中でもテレビなどでも話題になる、えんぎ屋水晶院の招き猫は、両手を上げ、大金運・大幸運を招くとして、購入者からの評判も良い。
商売繁盛を願う事業者のみならず、むしろ家内安全・健康長寿の縁起物ととらえている人も多いようで、好評だ。
・縁起物・招き猫についての詳細はこちら


【関連記事】
・縁起物 - 現世利益を追求数る日本の信仰に欠かせないアイテムたち
コメント