石清水八幡宮の元宮は「油祖」、信長の楽市楽座で打撃受けるも現代に再興
[住所]京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字西谷21−1
[電話]075-956-0218
離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)は、京都府乙訓郡大山崎町にある神社。近代社格では府社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
拝殿奥の本殿に応神天皇、左殿に酒解大神(さかとけのおおかみ。別称大山祇神)、右殿に比売三神(ひめさんしん。宗像三女神)を祀る。
平安時代初期、清和天皇が九州のあるいは宇佐八幡宮を京へ遷座させようと、行教に命じ、これを実行した。行教が山崎の津(当時淀川の航海のために設けられていた港)で夜の山(神降山)に霊光をみた。
不思議に思い、その地を少し掘ってみると、岩間に清水が湧き出したため、その地に御神体を鎮座、石清水八幡宮として創建された。
石清水八幡宮は現在、当宮にもほど近い男山に鎮座しているが、この社伝が正しければ、当宮は石清水八幡宮の元宮となる。
当宮地が嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地だったため、後に現社号に改称された。
なお、現在地にはもともと自玉手祭来酒解神社があったとも言われている。御祭神の酒解大神はその関連を示すものかもしれない。
貞観年間(859年-877年)、時の当宮神官が神示を受けて「長木」という搾油器を発明、荏胡麻油の製油を開始。この業が全国に急速に広がり、朝廷から「油祖」の名を賜った。
また、油座として油の専売特許を持ち、栄えることになる。当宮許状がなければ、諸国の油商人は油を扱うことができなかった。一時は壮大な社殿を構え、栄華を極めた。
しかし安土桃山時代、織田信長の楽市楽座の政策で、当宮業も大打撃を受け、さらに菜種油が大量生産されるようになると、これに市場を奪われ徐々に衰退していく。
幕末の元治元年(1864年)、いわゆる禁門の変(蛤御門の変)で、当宮は尊皇攘夷派である長州藩駐屯所となり、幕府・薩摩連合軍側の砲撃に遭い、被災。
明治9年(1876年)、東海道本線の京都-神戸間開通により社地の大半がその用地として召し上げられ、神領の規模が大幅に縮小された。
明治12年(1879年)になって、崇敬者の寄進により社殿が再興、昭和4年(1929年)に改築されて今日に至る。
様々な兵火を免れ、現存する建築物に惣門、東門があり、いずれも町指定文化財となっている。
昭和61年(1986年)、製油メーカーを中心として「油祖離宮八幡宮崇敬会」が設立され、ほとんど創建以来の「油祖」としての面目を現代に再興した。
例祭は9月15日で放生会。4月にも春の例祭があり、当宮から男山の現石清水八幡宮への八幡神遷幸の儀式を模った日使頭祭が行われる。現在、当宮は後者を重視している。1月にはどんど祭(左義長)がある。
境内社に、若宮社・武内社・天照皇太神宮・気比宮・蛭子社・鹿島社・住吉社・腰掛天神社・稲荷社などがある。
なお、当社は1月に行われる近隣21社からなる乙訓鎮座神社巡りの一社である。
【ご利益】
油業発展、厄災除け、勝運・必勝祈願

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離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)は、京都府乙訓郡大山崎町にある神社。近代社格では府社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
拝殿奥の本殿に応神天皇、左殿に酒解大神(さかとけのおおかみ。別称大山祇神)、右殿に比売三神(ひめさんしん。宗像三女神)を祀る。
平安時代初期、清和天皇が九州のあるいは宇佐八幡宮を京へ遷座させようと、行教に命じ、これを実行した。行教が山崎の津(当時淀川の航海のために設けられていた港)で夜の山(神降山)に霊光をみた。
不思議に思い、その地を少し掘ってみると、岩間に清水が湧き出したため、その地に御神体を鎮座、石清水八幡宮として創建された。
石清水八幡宮は現在、当宮にもほど近い男山に鎮座しているが、この社伝が正しければ、当宮は石清水八幡宮の元宮となる。
当宮地が嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地だったため、後に現社号に改称された。
なお、現在地にはもともと自玉手祭来酒解神社があったとも言われている。御祭神の酒解大神はその関連を示すものかもしれない。
貞観年間(859年-877年)、時の当宮神官が神示を受けて「長木」という搾油器を発明、荏胡麻油の製油を開始。この業が全国に急速に広がり、朝廷から「油祖」の名を賜った。
また、油座として油の専売特許を持ち、栄えることになる。当宮許状がなければ、諸国の油商人は油を扱うことができなかった。一時は壮大な社殿を構え、栄華を極めた。
しかし安土桃山時代、織田信長の楽市楽座の政策で、当宮業も大打撃を受け、さらに菜種油が大量生産されるようになると、これに市場を奪われ徐々に衰退していく。
幕末の元治元年(1864年)、いわゆる禁門の変(蛤御門の変)で、当宮は尊皇攘夷派である長州藩駐屯所となり、幕府・薩摩連合軍側の砲撃に遭い、被災。
明治9年(1876年)、東海道本線の京都-神戸間開通により社地の大半がその用地として召し上げられ、神領の規模が大幅に縮小された。
明治12年(1879年)になって、崇敬者の寄進により社殿が再興、昭和4年(1929年)に改築されて今日に至る。
様々な兵火を免れ、現存する建築物に惣門、東門があり、いずれも町指定文化財となっている。
昭和61年(1986年)、製油メーカーを中心として「油祖離宮八幡宮崇敬会」が設立され、ほとんど創建以来の「油祖」としての面目を現代に再興した。
例祭は9月15日で放生会。4月にも春の例祭があり、当宮から男山の現石清水八幡宮への八幡神遷幸の儀式を模った日使頭祭が行われる。現在、当宮は後者を重視している。1月にはどんど祭(左義長)がある。
境内社に、若宮社・武内社・天照皇太神宮・気比宮・蛭子社・鹿島社・住吉社・腰掛天神社・稲荷社などがある。
なお、当社は1月に行われる近隣21社からなる乙訓鎮座神社巡りの一社である。
【ご利益】
油業発展、厄災除け、勝運・必勝祈願

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