奈良時代創建の八幡宮、高野山とのかかわり深く、本殿や絵図が重要文化財
[住所]和歌山県伊都郡かつらぎ町萩原56
[電話]0736-22-0300
寶來山神社(ほうらいさんじんじゃ、宝来山神社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、本社四殿に、中央右寄り第一殿が八幡大神、中央左寄り第二殿が菅原大神、左の第三殿が大山祗大神、右の第四殿が猿田彦大神。
第三殿の右にあるのが末社東殿で、素盞鳴大神・大国主大神を祀る。第四殿の左にあるのが末社西殿で、蛭子大神・少彦名大神を祀る。
社伝によれば、創建は奈良時代、宝亀年間(770年-780年)に和気清麻呂が八幡宮を勧請し、八幡山と呼ばれるようになったこと。
当社が鎮座するこの地は、桛田荘(かせだのしょう)と呼ばれ、寿永2年(1183年)に京都高雄にある真言宗神護寺の荘園になる。
その頃の景観を描いたとされる2枚の桛田荘絵図が、神護寺と当社に伝わる。いずれも国の重要文化財に指定されている。
この絵図には「八幡宮」と「堂」とが描かれ、その後身とされる当社と神願寺とが、現在も同じ境内に隣接して建っている。
神願寺は、鎌倉時代に活躍した僧である文覚上人が熊野からの帰りにこの地を訪れ、創建したとも言われている。
神護寺は、桛田荘を重要な荘園の一つとして位置づけ、当社の保護にも当たったが、戦国時代になると、維持管理が困難となり、桛田荘は高野山との関わりを深めていくことになる。
これには、桛田荘東村に居住していた土豪で、高野山の福蔵院(現 巴陵院)との関係が深かった是吉家が関わっており、大永5年(1525年)の年紀のある当社所蔵の古文書(福蔵院旧蔵)には、「是吉大明神」とともに「宝来山大明神」と見える。
この頃から、八幡宮から「宝来山」の社号が使われていたことが分かる。天正8年(1580年)の年紀のある当社所蔵の太刀にも、「宝来山大明神」の銘がある。
江戸時代初期、是吉家の当主であった是吉(?-1614年)が当社の再建に尽力。慶長19年(1614年)に現在の本殿四社が建立された。本殿はやはり国の重要文化財に指定されている。
また、末社東殿・西殿は、17世紀半ばの建立とされ、県指定文化財。この他、元和5年(1619年)の銘のある湯立釜、寛永元年(1624年)の扁額「正一位勲八等日本第一大福田宝来山大明神」、江戸時代の棟札や古文書などが残る。
例祭は10月27日で秋季例祭、近接する10月第3日曜日が秋祭りで各種奉納行事がある。1月10日には十日えびすがあり、参拝者は福笹を受けられる。
境内社に、市杵島姫大神、稲荷大神(当社では宇迦之御魂大神ではなく、豊受姫の神としている)がある。
当社も縁起の良い名前を持つ神社ではあるが、似た社号の神社として、熊本県阿蘇の金パワースポットとして名高い宝来宝来神社の分社である紀州宝来宝来神社が有田郡有田川町にある。
【ご利益】
「宝が来る山」金運・宝くじ当選祈願、武運長久・必勝祈願・出世開運(公式HP)
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[電話]0736-22-0300
寶來山神社(ほうらいさんじんじゃ、宝来山神社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、本社四殿に、中央右寄り第一殿が八幡大神、中央左寄り第二殿が菅原大神、左の第三殿が大山祗大神、右の第四殿が猿田彦大神。
第三殿の右にあるのが末社東殿で、素盞鳴大神・大国主大神を祀る。第四殿の左にあるのが末社西殿で、蛭子大神・少彦名大神を祀る。
社伝によれば、創建は奈良時代、宝亀年間(770年-780年)に和気清麻呂が八幡宮を勧請し、八幡山と呼ばれるようになったこと。
当社が鎮座するこの地は、桛田荘(かせだのしょう)と呼ばれ、寿永2年(1183年)に京都高雄にある真言宗神護寺の荘園になる。
その頃の景観を描いたとされる2枚の桛田荘絵図が、神護寺と当社に伝わる。いずれも国の重要文化財に指定されている。
この絵図には「八幡宮」と「堂」とが描かれ、その後身とされる当社と神願寺とが、現在も同じ境内に隣接して建っている。
神願寺は、鎌倉時代に活躍した僧である文覚上人が熊野からの帰りにこの地を訪れ、創建したとも言われている。
神護寺は、桛田荘を重要な荘園の一つとして位置づけ、当社の保護にも当たったが、戦国時代になると、維持管理が困難となり、桛田荘は高野山との関わりを深めていくことになる。
これには、桛田荘東村に居住していた土豪で、高野山の福蔵院(現 巴陵院)との関係が深かった是吉家が関わっており、大永5年(1525年)の年紀のある当社所蔵の古文書(福蔵院旧蔵)には、「是吉大明神」とともに「宝来山大明神」と見える。
この頃から、八幡宮から「宝来山」の社号が使われていたことが分かる。天正8年(1580年)の年紀のある当社所蔵の太刀にも、「宝来山大明神」の銘がある。
江戸時代初期、是吉家の当主であった是吉(?-1614年)が当社の再建に尽力。慶長19年(1614年)に現在の本殿四社が建立された。本殿はやはり国の重要文化財に指定されている。
また、末社東殿・西殿は、17世紀半ばの建立とされ、県指定文化財。この他、元和5年(1619年)の銘のある湯立釜、寛永元年(1624年)の扁額「正一位勲八等日本第一大福田宝来山大明神」、江戸時代の棟札や古文書などが残る。
例祭は10月27日で秋季例祭、近接する10月第3日曜日が秋祭りで各種奉納行事がある。1月10日には十日えびすがあり、参拝者は福笹を受けられる。
境内社に、市杵島姫大神、稲荷大神(当社では宇迦之御魂大神ではなく、豊受姫の神としている)がある。
当社も縁起の良い名前を持つ神社ではあるが、似た社号の神社として、熊本県阿蘇の金パワースポットとして名高い宝来宝来神社の分社である紀州宝来宝来神社が有田郡有田川町にある。
【ご利益】
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