日本三大美肌の湯近くに鎮座する“肌の病”に効くナマズ様の社
[住所]佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙2231-2
[電話]0954-43-0680
豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)は、佐賀県嬉野市嬉野町にある神社。近代社格では村社。日本三大美肌の湯の一つとされる嬉野温泉街の、やや西寄りに鎮座する。ナマズと美肌で有名な社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は豊玉姫命。『古事記』にも登場する、皇祖・火遠理命の妻となり、初代神武天皇の父に当たる鵜草葺不合命をもうけることになる海神の娘。縁結び・子宝にもご利益がある。
創建年代は不詳。一説に、室町時代よりも以前にさかのぼることは確実、とされている。古伝によれば、老翁が、温泉湧出し、心身の穢れを濯ぐ霊地である当地に、村の惣廟の神を勧請しようとして、日向に至り勧請したという。
主祭神の神使はナマズ(なまず)とされている。このナマズは、嬉野川を支配し、郷を守護しており、国に大難ある時には、六尺の大鯰が現れ、神託を告げると語り継がれている。
肥前国でトヨタマとナマズといえば、肥前国一宮である與止日女神社がある。
古来より、このナマズ様は“肌の病”にご利益があるという。現在も境内にはナマズ社があり、当社全体としてもなまずのお社などと呼ばれ、白いナマズ像が安置されている。
もともとは嬉野松の所(現 嬉野小学校南東)にあったが、やがて湯宿(寿旅館付近)に遷された。しかし、天正年間(1573年-1592年)の兵火で焼失、その後、元和年間(1615年-1624年)に社殿再興、寛永18年(1641年)に領主鍋島氏の祈願所となった。
明治になって村社に列せられたが、従来の社地が狭く、現在地に社殿を新築し、明治15年(1940年)9月に遷座した。一部資料には春日大神・住吉大神も祀るとあるが、現在は確認されていないようだ。
境内社に、本殿左に八坂社(御祭神:素戔鳴命)、本殿右に天満宮(御祭神:菅原道真)があり、天満宮石祠の右手に、恵比須像や三尊形式の女神形浮彫をもつ石祠など石像・石祠が数基並ぶ。
【ご利益】
美肌、良縁、子宝、安産
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・佐賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、佐賀県に鎮座している神社の一覧
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豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)は、佐賀県嬉野市嬉野町にある神社。近代社格では村社。日本三大美肌の湯の一つとされる嬉野温泉街の、やや西寄りに鎮座する。ナマズと美肌で有名な社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は豊玉姫命。『古事記』にも登場する、皇祖・火遠理命の妻となり、初代神武天皇の父に当たる鵜草葺不合命をもうけることになる海神の娘。縁結び・子宝にもご利益がある。
創建年代は不詳。一説に、室町時代よりも以前にさかのぼることは確実、とされている。古伝によれば、老翁が、温泉湧出し、心身の穢れを濯ぐ霊地である当地に、村の惣廟の神を勧請しようとして、日向に至り勧請したという。
主祭神の神使はナマズ(なまず)とされている。このナマズは、嬉野川を支配し、郷を守護しており、国に大難ある時には、六尺の大鯰が現れ、神託を告げると語り継がれている。
肥前国でトヨタマとナマズといえば、肥前国一宮である與止日女神社がある。
古来より、このナマズ様は“肌の病”にご利益があるという。現在も境内にはナマズ社があり、当社全体としてもなまずのお社などと呼ばれ、白いナマズ像が安置されている。
もともとは嬉野松の所(現 嬉野小学校南東)にあったが、やがて湯宿(寿旅館付近)に遷された。しかし、天正年間(1573年-1592年)の兵火で焼失、その後、元和年間(1615年-1624年)に社殿再興、寛永18年(1641年)に領主鍋島氏の祈願所となった。
明治になって村社に列せられたが、従来の社地が狭く、現在地に社殿を新築し、明治15年(1940年)9月に遷座した。一部資料には春日大神・住吉大神も祀るとあるが、現在は確認されていないようだ。
境内社に、本殿左に八坂社(御祭神:素戔鳴命)、本殿右に天満宮(御祭神:菅原道真)があり、天満宮石祠の右手に、恵比須像や三尊形式の女神形浮彫をもつ石祠など石像・石祠が数基並ぶ。
【ご利益】
美肌、良縁、子宝、安産
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