源氏の崇敬と378段の参道、大祭では9台の太鼓台が集結して勇壮さを競う
[住所]香川県観音寺市八幡町1-1-1
[電話]0875-25-3828

琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)は、香川県観音寺市八幡町、琴弾山の山頂にある神社。参拝すれば、当社のものと新四国曼荼羅霊場23番としての御朱印を頂ける。

近代社格では県社。もとの四国八十八箇所第68番札所。現在は新四国曼荼羅霊場23番。さぬき十五社の14番。

麓に随心門があり、378段の参道があるが、一方通行のドライブウエイがあり、車で頂上まで行ける。

八幡神として応神天皇神功皇后玉依姫命を祀る。八幡神としての顔ぶれは、福岡市東区の筥崎宮と同じタイプ。

社伝では、大宝3年(703年)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まる。

その時、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の社名がある。異説として、琴の音が海から聞こえたため、この琴の主を引き揚げ祀ったとも。

また、創祀と同時に当社の神宮寺として、後に第69番札所観音寺となる神宮寺、つまり神宮寺宝光院、現在の観音寺が建立された。

大同2年(807年)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めた。

中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。

義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進した。

また、曲亭馬琴作『椿説弓張月』の舞台でもある。明治の神仏分離により、本地・阿弥陀如来像は観音寺境内の西金堂に移され、琴弾神社と神恵院に分離された。第二次大戦後、現社号に復称した。

例祭は10月第3土・日曜日。「琴弾八幡宮大祭」で知られ、秋祭りで、麓に町内の9台のちょうさ(太鼓台)が集結、その勇壮さを競う太鼓台まつりとして有名。

前日金曜日は宵宮として、太鼓台が町内を巡行する。全国奉納絵馬コンクールも行っている。

山頂部の摂社としては、住吉神社(底土神赤土神石土神)、武内神社(武内宿称)、若宮神社(仁徳天皇宇治皇子宇礼姫久礼姫)があり、麓や参道途中にも多くの摂社がある。

【ご利益】
厄祓い、武運長久・勝運、身体壮健など
琴弾八幡宮 - 源氏の崇敬と378段の参道、大祭では9台の太鼓台が集結して勇壮さを競う
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