佐竹・水戸徳川家が崇敬した太田郷鎮守、巫女舞や大ケヤキ
[住所]茨城県常陸太田市宮本町2344
[電話]0294-72-0868

若宮八幡宮(わかみや はちまんぐう)は、茨城県常陸太田市宮本町にある神社。近代社格では郷社。常陸国太田郷鎮守。御祭神は、大鷦鷯尊(おおささぎのみこと、仁徳天皇)・倉稲魂命。参拝すれば、御朱印を頂ける。

佐竹義仁が応永年間 (1394年-1428年)に、現在の神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮を勧請して太田城内に祀り、守護神としたのが始まり。以来、佐竹氏の祈願所となった。

佐竹氏は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に秋田に転封となるが、その際に大館城の守護神として当宮の神霊を城中に奉持し、後に城の東の大館八幡神社に祀り、転封の後も守護神とした。

慶長14年(1609年)、水戸藩初代藩主徳川頼房が7歳の時、病気平癒を祈願して全快したとされる。以来、水戸徳川家の崇敬厚く、元禄5年(1692年)には二代藩主徳川光圀が太田郷の鎮守とした。

光圀が始めたとされる水戸藩の寺社改革「八幡潰し」では藩内105社の八幡社のうち101社が取り潰しとなったが、当社は、水戸八幡宮(水戸市)・安良川八幡宮(高萩市)・馬場八幡宮(常陸太田市)とともに存続した4社のうちの一社。

宝永5年(1708年)、並祀された太田稲荷神社と共に、太田城内から現在地である常陸太田市街地、鯨が丘の高台で、太田城の二の丸跡に社殿を遷した。

例祭は5月。9月にも秋季例祭がある。「鶴岡より勧請奉斎された際、鶴子なる女性が供奉して来り、祭祀を司った」という由緒に基づき、昭和15年(1940年)に氏子の巫女達により「鶴子舞」が奉納された。

近年、この巫女舞奉納が復活し、例大祭などで「浦安の舞」「豊栄の舞」「八乙女の舞」が厳かな雰囲気のなかに愛らしさをもって奉納されている。

平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災で当宮も被災。鳥居や石玉垣、多数の燈篭が崩れたが、徐々に復興が進んでいる。

巨大なケヤキが境内に相並んで天を摩し、最大のものは樹齢650年以上ともされ、県指定の天然記念物となっている。その他、絹本着色僧形八幡画像、石剣形宝物、伝新羅三郎義光所用の軍扇などが伝わる。

境内社に、康平6年(1062年)に源義家が菅原道真自筆の天満像を掲げて前九年の役の勝利を祈願した北野天神社(梅天神)、市比売神社、足尾神社、愛宕神社、別雷神社、富士神社、淡島神社(淡島神)がある。

【ご利益】
厄除け、交通安全、合格祈願、商売繁盛など(公式HP
若宮八幡宮(常陸太田市) - 佐竹・水戸徳川家が崇敬した太田郷鎮守、巫女舞や大ケヤキ
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若宮八幡宮(常陸太田市)の御朱印