孝謙天皇の勅願所として社殿建立、脳・神経痛など東道後神社
[住所]愛媛県松山市鷹子町894
[電話]089-975-1744

日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)は、愛媛県松山市鷹子町にある神社。松山八社八幡の三番・日尾八幡。近代社格では県社。神紋は左三つ巴。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、西玉殿が品陀和気命(第15代応神天皇)・帯仲日子命(第14代仲哀天皇)、中玉殿が比売神として宗像三女神多紀理毘命狭依毘売命多紀都毘売命)、東玉殿が大帯姫命(神功皇后)。

西玉殿側玉殿が健内宿禰命、中玉殿が伊予比売命(いよずひめのかみ)・饒速日命、東玉殿側玉殿が猿田毘古大神。境内社として玉垣内の本殿東隣に天照皇大神が、本殿西隣には春日大神が祀られる。

天平勝宝4年(752年)、宇佐より神霊を勧請し久米八幡宮として建立された。孝謙天皇の勅願所として天平神護元年(765年)に社殿建立を開始、翌年に完成した。

神護景雲3年(769年)2月、称徳天皇が勅使を向かわせ神衣を奉納している。宝亀7年(776年)8月と宝亀9年(778年)3月には、光仁天皇が2度に渡り幣帛を奉納。

御祭神の伊予比売命は、往古伊予比古命(いよずひこのみこと、夫婦神とされる)とともに伊予国の地神として、また久米氏の祖神として久米郡神戸郷古天野神山(現 小野村大字小屋峠)に祀られていたが、洪水により社殿が崩壊し、平井谷明神ヶ鼻に遷座。

その後、一説では延喜17年(917年)に再び水害に遭い、両御神体が漂流し、伊予比売命は日瀬里(現 久米窪田)の龍神淵にて引き上げられ、当宮に合祀されたという。伊予比古命は現在、伊豫豆比古命神社において祀られているとされる。

鎌倉時代、文治年間(1185年-1189年)、源頼朝によって再建される。承久年間(1219年-1221年)には河野通信によって社殿が改造された。

室町時代、応永年間(1394年-1427年)、火災により社殿および社宝、社史を焼失。永享3年(1431年)には河野氏によって社殿が再建された。

天正13年(1585年)、河野氏の滅亡により一時荒廃するものの、松山藩の藩主となった加藤嘉明が慶長年間(1596年-1615年)、当社を松山八社八幡の三番社・日尾八幡とした後は、歴代藩主の崇敬を受けた。

明治5年(1872年)には郷社に、明治12年(1879年)には県社となる。例祭は10月15日。松山の神社には珍しく喧嘩神輿(鉢合わせ)はない。松山秋祭りは10月6日の前後3日と定まっているが、当社の場合は日時もずれている。

境内社として、本殿東側に天満神社が鎮座するほか、その東隣には東道後神社がある。御祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神で、後藤信正翁命が合祀されている。

東道後神社は古来、三光神社と称し、脳の守護神、また神経痛、中風除けの神して崇敬された。昭和49年(1974年)3月の改築の際に本社の氏子内の温泉守護として奉斎、改称された。

また、石段中腹東側に杉谷金比羅大権現神社が、石段中腹西側には奈良原神社がある。手水舎西側には生目神社が鎮座する。

【ご利益】
厄祓い、諸願成就、安産、病気平癒など
日尾八幡神社 - 孝謙天皇の勅願所として社殿建立、脳・神経痛など東道後神社や展望台
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松山八社八幡
・一番 湯月八幡 伊佐爾波神社
・二番 桑原八幡 桑原八幡神社
・三番 日尾八幡 日尾八幡神社
・四番 正八幡 雄郡神社
・五番 日招八幡 日招八幡大神社
・六番 山崎八幡 朝日八幡神社
・七番 帰熊八幡 還熊八幡神社
・八番 勝山八幡 阿沼美神社
日尾八幡神社の御朱印