境内社に四つの式内論社、室町末期とされる拝殿が重文、病気平癒や縁結び
[住所]福井県越前市国兼町22-2
[電話]0778-23-8074
大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう)は、福井県越前市国兼町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当宮の鎮座する国兼は、中世期の大塩保(おおしおのほ)の中心集落であったことから、「大塩保八幡宮」と称され、近世以降に現社名で呼ばれるようになった。
明治以降「八幡神社」を正式な社号としたが、昭和46年(1971年)、現社号に復称した。
御祭神は、帯中日子天皇・応神天皇・神功皇后。他に、明治43年(1910年)に合祀された王子保区内の12神社16柱の神を祀る。
大塩保に勧請された八幡宮で、寛正5年(1464年)の当宮縁起によれば、仁和3年(887年)、讒言によって越前国の国府に配流された中納言紀友仲が、現社地に榊を植えて石清水の八幡神に帰洛を祈願した。
寛平元年(889年)、友仲は勅許を得て京都へ戻ることができたため、寛平3年(891年)に社殿を造営して、石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当宮の創祀。
創祀に際して清原元政が勅使として下向し、そのまま神主として仕えて以来清原氏が神主職を襲った。近世以降は瓜生に改姓して現在に至っている。
鎮座の際に旧南条郡の大塩保の鎮守として一帯を神領としたことから、郡内の「二宮」と称されたという。一時期は越前国二ノ宮とも。ただし、越前国二宮は通常、丹生郡越前町の劔神社を指す。
また、越前国国分寺の守護神とも言われる。であるならば、越前国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮を当社が兼ねた可能性がある。
寿永2年(1183年)に木曾義仲(源義仲)が境内に本陣を築いて滞在し、鎌倉幕府からは田地を寄進され、建武年間(1334年-1338年)に斯波高経によって造営がなされた。
以後も斯波氏や朝倉氏の歴代守護職から田畑山林の寄進や社殿の造営修復が行われた。
現在の拝殿は義仲滞陣中に焼失したものを、近くの杣山日吉山王社の拝殿を三日三晩で移築したもの、と伝わる。現在では、室町時代末期の建造とされ、国の重要文化財に指定されている。
天正年間(1573年-1592年)の一揆や、太閤検地で社領を悉く失い、衰退に傾いた時期もあったが、慶長8年(1603年)に福井藩祖の結城秀康によって社領30石が寄進され、復興に進むことになる。
秀康の家臣本多富正が武運長久を祈願し、さらに元和9年(1623年)には秀康の子、松平忠直により20石が加増された。以来、江戸時代を通じて福井藩主から崇敬された。
比叡山行光房の流れを汲む宝光寺という天台寺院が別当寺だったが、当宮と訴訟問題が生じて廃された。
明治4年(1871年)に郷社に、明治7年(1874年)に県社に列し、戦後は神社本庁に属している。例祭は9月25日。
境内社に高岡神社がある。昌泰元年(898年)の遷座と伝わり、『延喜式神名帳』に記載される式内小社「高岡神社」、『越前国内神名帳』の「従五位 高岡神」の論社である。
式内社「高岡神社」の論社は他に、いずれも敦賀市で、砂流に式内同名神社、高野に白山神社がある。
他に、天八百萬比咩神社、天国津彦天国津比咩神社があり、いずれも式内社「天八百萬比咩神社」「天国津彦神社」「天国津比咩神社」(小社)の論社。
天国津彦天国津比咩神社は『越前国内神名帳』の「正四位 天国津彦神」「正四位 天国津姫神」の論社であり、この三社は式内社であれば、斉衡3年(856年)に官社に預かり、その11日後に従四位下に叙された国史見在社ともなる。
式内社「天八百萬比咩神社」の論社は他に、敦賀市の常宮神社が、「天国津彦神社」「天国津比咩神社」の論社は他に、常宮神社のそれぞれの境内社がある。
他に、延喜元年(901年)の勧請と伝わる寿翁神社や、神主清原氏の祖である舎人親王を祀る清務霊社、本社と一緒に寛平3年に勧請されたと伝わる高良神社(武内宿禰命)、寛永年間(1624-44年)に創祀された徳川家康を祀る源嫡神社がある。
これらの境内社は総じて少名彦神・大己貴神との関連が深い面があり、特に疱瘡の神が有名で、また境内には「えんむすびの木」もあることでも知られている。
伝本多富正奉納鞍(梅鉢文葡萄蒔絵鞍、巴散文螺鈿鞍、張良図蒔絵鞍)が県の有形文化財。また、元禄14年(1701年)に奉納された鶴亀松竹の算額が県の有形民俗文化財。
仁安2年(1167年)に滋賀県の善勝寺で鋳造され、破損のため元弘2年(1332年)に鋳直された梵鐘(高さ約1メートル、径約60センチ)が市指定文化財。
また、木造櫛磐窓命坐像・木造豊磐窓命坐像が市の有形文化財に、寛永10年(1633年)から安政3年(1856年)にかけて奉納された10面の絵馬が市の有形民俗文化財に指定されている。
似た社号を持つ神社に兵庫県姫路市の大塩天満宮がある。「大塩八幡宮 姫路市」などが検索候補に現れるが、これは大塩天満宮のことを指しており、姫路市に同名神社はないと思われる。
【ご利益】
厄祓い、家内安全、安産、病気平癒、縁結びなど
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[電話]0778-23-8074
大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう)は、福井県越前市国兼町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当宮の鎮座する国兼は、中世期の大塩保(おおしおのほ)の中心集落であったことから、「大塩保八幡宮」と称され、近世以降に現社名で呼ばれるようになった。
明治以降「八幡神社」を正式な社号としたが、昭和46年(1971年)、現社号に復称した。
御祭神は、帯中日子天皇・応神天皇・神功皇后。他に、明治43年(1910年)に合祀された王子保区内の12神社16柱の神を祀る。
大塩保に勧請された八幡宮で、寛正5年(1464年)の当宮縁起によれば、仁和3年(887年)、讒言によって越前国の国府に配流された中納言紀友仲が、現社地に榊を植えて石清水の八幡神に帰洛を祈願した。
寛平元年(889年)、友仲は勅許を得て京都へ戻ることができたため、寛平3年(891年)に社殿を造営して、石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当宮の創祀。
創祀に際して清原元政が勅使として下向し、そのまま神主として仕えて以来清原氏が神主職を襲った。近世以降は瓜生に改姓して現在に至っている。
鎮座の際に旧南条郡の大塩保の鎮守として一帯を神領としたことから、郡内の「二宮」と称されたという。一時期は越前国二ノ宮とも。ただし、越前国二宮は通常、丹生郡越前町の劔神社を指す。
また、越前国国分寺の守護神とも言われる。であるならば、越前国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮を当社が兼ねた可能性がある。
寿永2年(1183年)に木曾義仲(源義仲)が境内に本陣を築いて滞在し、鎌倉幕府からは田地を寄進され、建武年間(1334年-1338年)に斯波高経によって造営がなされた。
以後も斯波氏や朝倉氏の歴代守護職から田畑山林の寄進や社殿の造営修復が行われた。
現在の拝殿は義仲滞陣中に焼失したものを、近くの杣山日吉山王社の拝殿を三日三晩で移築したもの、と伝わる。現在では、室町時代末期の建造とされ、国の重要文化財に指定されている。
天正年間(1573年-1592年)の一揆や、太閤検地で社領を悉く失い、衰退に傾いた時期もあったが、慶長8年(1603年)に福井藩祖の結城秀康によって社領30石が寄進され、復興に進むことになる。
秀康の家臣本多富正が武運長久を祈願し、さらに元和9年(1623年)には秀康の子、松平忠直により20石が加増された。以来、江戸時代を通じて福井藩主から崇敬された。
比叡山行光房の流れを汲む宝光寺という天台寺院が別当寺だったが、当宮と訴訟問題が生じて廃された。
明治4年(1871年)に郷社に、明治7年(1874年)に県社に列し、戦後は神社本庁に属している。例祭は9月25日。
境内社に高岡神社がある。昌泰元年(898年)の遷座と伝わり、『延喜式神名帳』に記載される式内小社「高岡神社」、『越前国内神名帳』の「従五位 高岡神」の論社である。
式内社「高岡神社」の論社は他に、いずれも敦賀市で、砂流に式内同名神社、高野に白山神社がある。
他に、天八百萬比咩神社、天国津彦天国津比咩神社があり、いずれも式内社「天八百萬比咩神社」「天国津彦神社」「天国津比咩神社」(小社)の論社。
天国津彦天国津比咩神社は『越前国内神名帳』の「正四位 天国津彦神」「正四位 天国津姫神」の論社であり、この三社は式内社であれば、斉衡3年(856年)に官社に預かり、その11日後に従四位下に叙された国史見在社ともなる。
式内社「天八百萬比咩神社」の論社は他に、敦賀市の常宮神社が、「天国津彦神社」「天国津比咩神社」の論社は他に、常宮神社のそれぞれの境内社がある。
他に、延喜元年(901年)の勧請と伝わる寿翁神社や、神主清原氏の祖である舎人親王を祀る清務霊社、本社と一緒に寛平3年に勧請されたと伝わる高良神社(武内宿禰命)、寛永年間(1624-44年)に創祀された徳川家康を祀る源嫡神社がある。
これらの境内社は総じて少名彦神・大己貴神との関連が深い面があり、特に疱瘡の神が有名で、また境内には「えんむすびの木」もあることでも知られている。
伝本多富正奉納鞍(梅鉢文葡萄蒔絵鞍、巴散文螺鈿鞍、張良図蒔絵鞍)が県の有形文化財。また、元禄14年(1701年)に奉納された鶴亀松竹の算額が県の有形民俗文化財。
仁安2年(1167年)に滋賀県の善勝寺で鋳造され、破損のため元弘2年(1332年)に鋳直された梵鐘(高さ約1メートル、径約60センチ)が市指定文化財。
また、木造櫛磐窓命坐像・木造豊磐窓命坐像が市の有形文化財に、寛永10年(1633年)から安政3年(1856年)にかけて奉納された10面の絵馬が市の有形民俗文化財に指定されている。
似た社号を持つ神社に兵庫県姫路市の大塩天満宮がある。「大塩八幡宮 姫路市」などが検索候補に現れるが、これは大塩天満宮のことを指しており、姫路市に同名神社はないと思われる。
【ご利益】
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