聖武天皇の頃の創建、伊豆野堰の完成とともに再興・遷座
[住所]宮城県栗原市志波姫八樟新田126
[電話]0228-25-3231

志波姫神社(しわひめじんじゃ)は、宮城県栗原市志波姫八樟新田にある神社。『延喜式神名帳』にある「志波姫神社(陸奥国・栗原郡)」に比定される式内社(名神大社)の論社。

近代社格では村社。現在は八坂神社の兼務神社である。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は木花開耶姫命倉稻魂命応神天皇素盞嗚尊菊理姫命伊弉册命大日靈命軻遇突智命倭姫命を合祀する。

第45代聖武天皇の神亀(724年-729年)・天平(729年-749年)の頃の創建といわれ、延暦年間(796年-801年)に坂上田村麻呂が東征の際、武運長久と五穀豊饒を祈願したと伝えられる。

式内社「志波姫神社」の論社は他に、栗原市高清水大崎市古川に同名神社がある。高清水も八坂神社の兼務神社。

式内社「志波姫神社」は、貞観元年(859年)正月に従四位下。康和5年(1103年)6月、神事を穢したことで中祓を科せられる。

当社はもと伊豆野権現社と称し、築館の町裏玄光に鎮座していたが、正保年間(1645年-1648年)に祝融の災に罹り、社殿のすべてが烏有に帰し、その後再建されることなく伊豆大権現の石宮を祀るのみだった。

寛永16年(1639年)、伊達第二代藩主忠宗は家臣古内主膳重廣に伊豆野原の野谷地を与え、その開拓を命じた。

3年の難工事の末に、伊豆野堰を完成させ、明暦3年(1658年)に当社社伝を再建、水下十五ヶ村の守護神として現在地に遷座した。

旧地には現在も民家庭先の畑地の中ながら、小祠と石碑が建っている。明治8年(1875年)8月に村社に列し、大正12年(1923年)10月には神饌幣帛料供進社に指定された。

明治22年(1889年)4月、市町村制の施行により、姫郷村、白幡村、梅崎村の三ヶ村を合併し、この由緒ある社名を唱えて志波姫村とした。町名ゆかりの神社である。

昭和30年(1955年)に覆堂が設けられた本殿(素木造・一間社流造・目板葺)は、慶安3年(1650年)の建築と伝えられ、江戸時代初期の建築様式を残すものとして、県指定有形文化財となった。

境内には金田明神と呼ばれる石宮がある。元禄12年(1699年)9月18日、與兵衛、権内と山伏の室鏡院が無実の罪で磔の刑に処せられたが、その霊を鎮めるため建立されたもの。

八樟原にあったが、平成13年4月に遷座した。台座に「文政九年丙戌九月十九日、願主、肝入彦十郎、善助」(1826年)とある。

【ご利益】
安産・子育て、武運長久、五穀豊穣・商売繁盛
志波姫神社(栗原市志波姫) - 聖武天皇の頃の創建、伊豆野堰の完成とともに再興・遷座
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志波姫神社(栗原市志波姫)の御朱印