江戸期から御柱が行われる大宮諏訪社、境内社は重文
[住所]長野県飯山市大字豊田字伊豆木原3681-1
[電話]029-26-3181

健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ)は、長野県飯山市豊田にある神社。五束神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「健御名方富命彦神別神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。ただし、『延喜式』臨時祭 名神祭には掲載されていない。近代社格では県社

御祭神は健御名方富命庭津女命・知奴命・沙南豆良姫命・麻背命・八須良雄命・武彦根命を配祀する。手力男命思兼命・表春命・保食神伊弉冊尊火産霊神・健御名方富命を合祀する。

宮司宅に残る江戸期の文書には、「白雉3年(652年)創建」とされるが、創建は不詳。常磐牧跡の水田開拓に係わってきた神社と考えられているという。

本殿上の大石を地元では昔から「影向石(ようごうせき)」とか「鎮座石(ちんざいし)」と言い伝え、今も石上に御幣が立つが、これを磐座と考え、相当古くから信仰の場であったという。

論社は他に、いずれも同名で、旧県社で通称「城山県社」「水内大社」「彦神別神社」の長野市長野に鎮座する神社、旧郷社で通称「水内神社」「水内大社」の長野市信州新町に鎮座する神社がある。

『日本書紀』に、持統天皇5年(691年)、天皇の命で信濃国に「水内神」を祀らせたとする記述があり、これが文献上初見とされる。

飯山盆地の縁に鎮座するが、飯山盆地は古くは「水内海」という名の湖だったと言い伝えている。この海(湖)を祀ったのが創祀であり、『日本書紀』の記述にも符合するとする。

大同年間(806年-810年)に伊豆加の県主田村義仁の祈願所となり、後に飯山城主代々の崇敬社となった。寛政元年(1789年)に京都吉田家より式内名神大社の現社号が允許された。

古来より大宮諏訪神社、大宮諏訪社などとも呼ばれ、現在でも諏訪大社と同様、御柱祭が行われる神社として知られている。当社の御柱祭は寛政12年(1800年)から始まったという。

現在は「五束の御柱」として、市の無形民俗文化財。明治13年(1880年)に県社に列す。例祭は9月23日、秋分の日。その前日は夜に祭礼がある。

境内社に、若宮八幡社(大鷦鷯尊)、伊勢社(天照大御神豊受大御神)がある。若宮八幡神社社殿が国の重要文化財に指定されている。

また伊勢社は石祠が並び建ち、「五束の伊勢社」として市有形文化財となっている。本殿とそこへ吊るした鉄製鰐口(岩井信能寄進)が国の重要美術品となっている。

また、当社に伝わる太々神楽は県無形民俗文化財。その他、薙鎌5体、青銅製懸額(松平忠親寄進)が市有形文化財になっている。

【ご利益】
武運長久、身体壮健、五穀豊穣・商売繁盛
健御名方富命彦神別神社(飯山市) - 江戸期から御柱が行われる大宮諏訪社、境内社は重文
【関連記事】
名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
北陸新幹線・飯山駅(長野県飯山市)の式内社 - 1000年以上の歴史を有すパワースポット
長野県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧