善光寺の守護神、現在は横山城跡に鎮座する古社
[住所]長野県長野市大字長野字本城東2411
[電話]0262-32-3204

健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ)は、長野県長野市長野、箱清水とも呼ばれる地にある神社。参拝すれば、当社を兼務している武井神社御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「健御名方富命彦神別神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。ただし、『延喜式』臨時祭 名神祭には掲載されていない。近代社格では県社

通称として「城山県社」「水内大社」「彦神別神社」とも。鳥居の額「健御名方富命彦神別神社」は有栖川宮幟仁親王の筆。

善光寺の東に隣接する城山公園の一角、横山城跡に鎮座する。もと善光寺本堂北側に「年神堂」としてあり、善光寺の守護神であったが、明治初頭の神仏分離に伴い、現在地に遷座した。

諏訪大社の御祭神でもある健御名方富命を祀っており、境内に御柱が建てられている。寅年・申年には武井神社・妻科神社湯福神社との持ち回りで御柱祭が行われる。

当社が建御名方命を祀るのに対して、武井神社はその和魂を、湯福神社はその荒魂を祀り、妻科神社がその妻を祀るとされ、四社が対になっているともされる。

当社以外の三社は善光寺三鎮守(善光寺三社)で、いずれも善光寺七社に含まれている。三社は善光寺そのものとも考えられた当社の鎮守、なのかもしれない。

創建は不詳。名神大社としての他の論社には、いずれも同名の神社で、旧郷社で通称「水内神社」「水内大社」の長野市信州新町に鎮座する神社、旧県社で通称「五束神社」の飯山市に鎮座する神社がある。

『日本書紀』に、持統天皇5年(691年)、天皇の命で信濃国に「水内神」を祀らせたとする記述があり、これが文献上初見とされる。

延文元年(1356年)成立の『諏方大明神画詞』では、「年神堂が諏訪大社の分座であり持統天皇5年に記載のある水内神である」としている。江戸時代末期の『芋井三宝記』には下記がある。
年神堂八幡宮は、風祭等の存在からして御年神でなく健御名方富命彦神別神社であり、当地に善光寺如来が来たため、仏式になって神名を失い、八幡宮とも誤り称されるようになった
当地は科野国造・金刺氏の居住地で水内郡の中心地と考えられ、善光寺の位置からは善光寺平が望めることから、古社の所在地としてふさわしいと考えられている。

明治12年(1879年)1月、明治天皇臨幸を契機として神仏分離により善光寺年神堂(歳神堂)を善光寺境内から現在地に遷座し、神名帳記載の「健御名方富命彦神別神社」に改称。

なお、当地に移ったのは御祭神のみで、旧年神堂の本殿は守田迺神社に移築された。例祭は9月10日。境内社に、木匠祖神社、千幡社がある。

【ご利益】
武運長久、勝運、身体壮健、諸願成就
健御名方富命彦神別神社(長野市長野) - 善光寺の守護神、現在は横山城跡に鎮座する古社
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健御名方富命彦神別神社(長野市長野)の御朱印