景行期の創祀、7月には「海道の奇祭」遠州新居手筒花火が行われる
[住所]静岡県湖西市新居町新居1379
[電話]053-594-1111 - 湖西市新居支所
諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県湖西市新居町にある神社。7月に行われる奉納煙火、遠州新居手筒花火が有名。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある遠江国浜名郡の「角避比古神社」(名神大社)、「猪鼻湖神社」(小社)に比定される式内社の論社。近代社格では郷社。
御祭神は、建御名方命・八坂刀売命(八坂刀売神)。天照大神、豊受大神、事代主神、大己貴神、猿田彦神、少彦名神、武甕槌神、経津主神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命(宗像三女神)を合祀する。
第12代景行天皇19年の創立と伝えられる。当初は新居宿の総氏神、猪鼻湖神社として猿田彦大神を奉斎し、浜辺に鎮座していたが、数度の天災により宝永5年(1708年)、現在地に遷座した。
現社名については、山本勘助の重臣である井口嘉末が信州より移り住み、天正年間(1573年-1593年)に諏訪大明神(諏訪大社)の御分霊を合祀したことから、いつしか現社名で呼ばれるようになり、定着した。
古来近郊の人々の尊崇厚く、徳川家康からは15石(一町五段一畝十五歩)の寄進を受け、これは幕末まで続いた。
また、三州吉田城主牧野大学源豊経より、宝永5年の現在地遷座の際、作事奉行土肥孫兵衛による武運長久、息災延命の祈願とともに石燈籠一基が奉納された。
江戸期は、関所役人(現 国指定史跡「新居関跡」)も信仰厚く、神輿渡御の際は関守を始め面番を張って奉迎し、お供の者もこの日だけは自由に立ち入りを許されたという。
また、参勤交代の諸大名も当社の祭の時は迂回したり、社前通過の際は、篭から下りて会釈したとも伝わる。
奉納煙火は、明和年間(1764年-1772年)以前の数十年前から伝わっているもので、「海道の奇祭」と称され、遠州十大名物の第1位。旧主祭神の名残か、今でも猿田彦煙火も行われる。
現在は7月下旬の2日間、男たちが一堂に次から次へと花火を抱え、火の粉が降りそそぐ中を笑いながら練り歩くという、他では見られない、太鼓とホラ貝が鳴り響く、力強い花火が楽しめる祭典として知られている。
明治元年(1868年)10月1日、明治天皇の行幸に際しては、諏訪神社拝殿(現 境内社の八所神社)が内侍所(賢所)の奉安所となった。
明治6年(1873年)3月には村社に、明治16年(1883年)6月12日には郷社に列した。明治40年(1907年)1月12日、神饌幤帛供進神社に指定された。
参道には樹齢450年とされる大ケヤキがある。樹高16メートル。当地遷座以前から存在していることになる。市指定天然記念物。
なお、当社としては式内社「角避比古神社」についてはあまり言及しないが、他の論社として、当社近くの湊神社、浜松市北区細江町の細江神社、浜松市古人見町の若御子神社がある。
また、式内社「猪鼻湖神社」の論社は他に、浜松市北区三ケ日町の猪鼻湖神社がある。
【ご利益】
武運長久、息災延命、身体壮健、厄除け
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諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県湖西市新居町にある神社。7月に行われる奉納煙火、遠州新居手筒花火が有名。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある遠江国浜名郡の「角避比古神社」(名神大社)、「猪鼻湖神社」(小社)に比定される式内社の論社。近代社格では郷社。
御祭神は、建御名方命・八坂刀売命(八坂刀売神)。天照大神、豊受大神、事代主神、大己貴神、猿田彦神、少彦名神、武甕槌神、経津主神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命(宗像三女神)を合祀する。
第12代景行天皇19年の創立と伝えられる。当初は新居宿の総氏神、猪鼻湖神社として猿田彦大神を奉斎し、浜辺に鎮座していたが、数度の天災により宝永5年(1708年)、現在地に遷座した。
現社名については、山本勘助の重臣である井口嘉末が信州より移り住み、天正年間(1573年-1593年)に諏訪大明神(諏訪大社)の御分霊を合祀したことから、いつしか現社名で呼ばれるようになり、定着した。
古来近郊の人々の尊崇厚く、徳川家康からは15石(一町五段一畝十五歩)の寄進を受け、これは幕末まで続いた。
また、三州吉田城主牧野大学源豊経より、宝永5年の現在地遷座の際、作事奉行土肥孫兵衛による武運長久、息災延命の祈願とともに石燈籠一基が奉納された。
江戸期は、関所役人(現 国指定史跡「新居関跡」)も信仰厚く、神輿渡御の際は関守を始め面番を張って奉迎し、お供の者もこの日だけは自由に立ち入りを許されたという。
また、参勤交代の諸大名も当社の祭の時は迂回したり、社前通過の際は、篭から下りて会釈したとも伝わる。
奉納煙火は、明和年間(1764年-1772年)以前の数十年前から伝わっているもので、「海道の奇祭」と称され、遠州十大名物の第1位。旧主祭神の名残か、今でも猿田彦煙火も行われる。
現在は7月下旬の2日間、男たちが一堂に次から次へと花火を抱え、火の粉が降りそそぐ中を笑いながら練り歩くという、他では見られない、太鼓とホラ貝が鳴り響く、力強い花火が楽しめる祭典として知られている。
明治元年(1868年)10月1日、明治天皇の行幸に際しては、諏訪神社拝殿(現 境内社の八所神社)が内侍所(賢所)の奉安所となった。
明治6年(1873年)3月には村社に、明治16年(1883年)6月12日には郷社に列した。明治40年(1907年)1月12日、神饌幤帛供進神社に指定された。
参道には樹齢450年とされる大ケヤキがある。樹高16メートル。当地遷座以前から存在していることになる。市指定天然記念物。
なお、当社としては式内社「角避比古神社」についてはあまり言及しないが、他の論社として、当社近くの湊神社、浜松市北区細江町の細江神社、浜松市古人見町の若御子神社がある。
また、式内社「猪鼻湖神社」の論社は他に、浜松市北区三ケ日町の猪鼻湖神社がある。
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