当地開拓の神を祀る、5月の例大祭は今治春祭りで獅子舞や藁御輿
[住所]愛媛県今治市神宮甲699
[電話]0898-23-2587
野間神社(のまじんじゃ)は、愛媛県今治市神宮にある神社。野間には乃万・濃満・濃万などの字を当てることもある。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 野間郡「野間神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社。
『続日本紀』などには「野間神」、『日本三代実録』には「野間天皇神」とある。
『建長田文』には「乃万宮」、『国分寺勧請神名帳』には「正一位 濃満天皇神」。「大梵天王宮」「乃万社大梵天王宮」などとも。
土地の人々の間では「天王社」「天王宮」などが用いられ、「テンノンさん」と親しまれた。中世には牛頭天王を御祭神とした時期があったことの名残でもあるという。
御祭神は、飽速玉命・若弥尾命・須佐之男命・野間姫命。飽速玉命は安芸国二宮である速谷神社の御祭神と同じで、阿岐の国造の祖とされる。
若弥尾命はその三世の孫で、怒麻の国造の祖。野間姫命は若弥尾命の妻とされる。
創建については不詳だが、怒麻国造となった若弥尾命が、その祖・飽速玉命を奉斎したことに始まると考えられている。『国造本紀』では、若弥尾命が怒麻国造に定められたのは神功皇后の御代とされる。
神功皇后が新羅を討とうとしたその日、大きな虎がいずこからともなく突然現れ、皇后が乗ってる船をめがけて、猛然と襲いかかってきた。
これを弓矢で一撃で仕留めたのが若弥尾命であり、士気も大いに鼓舞されたと伝わる。怒麻国造はその褒賞となる。
そして若彌尾命は、野間姫命と結婚し、二人で仲良く怒麻、つまり現在の野間地方を開拓したという。
野間姫命に関しては、草野姫命(かやのひめのみこと)と同一視する向きもある。となれば、若彌尾命は大山祇命に擬せられている可能性もある。
社伝によれば、大宝元年(701年)に社殿が造営された。天平神護2年(766年)には従五位下を授けられ、神戸二烟を充てられた。
承和4年(837年)には大山祇神社とともに南海道で初めての名神に預かる。天慶3年(940年)には海賊宿祷により正二位に昇叙する。
中世には河野氏をはじめとする武将の尊崇厚く、江戸時代には松山藩の雨乞い祈願所とされた。別当寺は乗禅寺。明治4年(1871年)に郷社に列格、明治28年(1895年)には県社に昇格。
元亨2年(1322年)造立の石造宝篋印塔が国の重要文化財に指定されている。和鏡11面が県指定有形文化財。
5月3日に行われる例大祭は、今治春祭りと呼ばれる一連の祭典のトップを切って行われる。
浦安の舞、大名行列、獅子舞、藁御輿、紺原御船などが奉納され、中でも獅子舞は「神宮野間神社に伝わる獅子舞」として県指定無形民俗文化財。藁御輿は市無形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
厄祓い、病魔退散、五穀豊穣・商売繁盛、夫婦和合

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[電話]0898-23-2587
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『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 野間郡「野間神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社。
『続日本紀』などには「野間神」、『日本三代実録』には「野間天皇神」とある。
『建長田文』には「乃万宮」、『国分寺勧請神名帳』には「正一位 濃満天皇神」。「大梵天王宮」「乃万社大梵天王宮」などとも。
土地の人々の間では「天王社」「天王宮」などが用いられ、「テンノンさん」と親しまれた。中世には牛頭天王を御祭神とした時期があったことの名残でもあるという。
御祭神は、飽速玉命・若弥尾命・須佐之男命・野間姫命。飽速玉命は安芸国二宮である速谷神社の御祭神と同じで、阿岐の国造の祖とされる。
若弥尾命はその三世の孫で、怒麻の国造の祖。野間姫命は若弥尾命の妻とされる。
創建については不詳だが、怒麻国造となった若弥尾命が、その祖・飽速玉命を奉斎したことに始まると考えられている。『国造本紀』では、若弥尾命が怒麻国造に定められたのは神功皇后の御代とされる。
神功皇后が新羅を討とうとしたその日、大きな虎がいずこからともなく突然現れ、皇后が乗ってる船をめがけて、猛然と襲いかかってきた。
これを弓矢で一撃で仕留めたのが若弥尾命であり、士気も大いに鼓舞されたと伝わる。怒麻国造はその褒賞となる。
そして若彌尾命は、野間姫命と結婚し、二人で仲良く怒麻、つまり現在の野間地方を開拓したという。
野間姫命に関しては、草野姫命(かやのひめのみこと)と同一視する向きもある。となれば、若彌尾命は大山祇命に擬せられている可能性もある。
社伝によれば、大宝元年(701年)に社殿が造営された。天平神護2年(766年)には従五位下を授けられ、神戸二烟を充てられた。
承和4年(837年)には大山祇神社とともに南海道で初めての名神に預かる。天慶3年(940年)には海賊宿祷により正二位に昇叙する。
中世には河野氏をはじめとする武将の尊崇厚く、江戸時代には松山藩の雨乞い祈願所とされた。別当寺は乗禅寺。明治4年(1871年)に郷社に列格、明治28年(1895年)には県社に昇格。
元亨2年(1322年)造立の石造宝篋印塔が国の重要文化財に指定されている。和鏡11面が県指定有形文化財。
5月3日に行われる例大祭は、今治春祭りと呼ばれる一連の祭典のトップを切って行われる。
浦安の舞、大名行列、獅子舞、藁御輿、紺原御船などが奉納され、中でも獅子舞は「神宮野間神社に伝わる獅子舞」として県指定無形民俗文化財。藁御輿は市無形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
厄祓い、病魔退散、五穀豊穣・商売繁盛、夫婦和合

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