食・稲作の神を祀る園部藩小出氏の崇敬を受けた式内名神大社、10月に神幸祭
[住所]京都府南丹市園部町竹井宮ノ谷3
[電話]0771-62-1169

摩氣神社(まけじんじゃ、摩気神社)は、京都府南丹市園部町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「麻気神社(丹波国・船井郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では府社

御祭神は大御饌津彦命(おおみけつひこのみこと)。天児屋根命の御子神・天押雲根命の別称で、水や食物を司る神であるとしている。

他の異説として、大御気津姫命(おおみけつひめのみこと、大宜都比売神)、御食津神(みけつかみ)、丹波道主尊などがある。どちらにしろ食・稲作の神。

また、『延喜式神名帳』宮中大膳職坐神三座の一つに御食津神社があり、関連が指摘される。

創祀年代は不詳。『新抄格勅符抄』所収の大同元年(806年)の牒に神護景雲4年(770年)に神封1戸が充てられたことが見える。

創建当初は現鎮座地よりもさらに奥まった山裾に鎮座し、豪雨による山崩れと参拝の便から現鎮座地へ遷されたとされる。

仁寿2年(852年)、勅使が差遣されて奉幣がなされた。延喜17年(917年)の文書中に、当社の祝部である大宅という人物が見える。当地では相当の有力神社として認知されていたことが分かる。

九品寺の縁起によれば、白河天皇の皇子・覚行法親王が九品寺の中興開山となった縁で承暦3年(1079年)に同寺への行幸があった。

同寺の鎮守であった当社には「船井第一麻気大社」の勅額を下賜して神事祭礼を復興させたとされる。これについては後世の付会説も根強い。

長享2年(1488年)5月に翌年の当社の頭役を担当する九品寺の僧坊が定められ、半年後の同3年正月にも同様のことが行われている。応永31年(1424年)の文書にも「麻気社」と見える。

江戸時代に園部藩藩主小出氏の崇敬を受けて復興し、元禄年中(17世紀末)には本殿の修理を始め、覆屋や拝殿・楼門・石鳥居などの再建、造営といった社頭整備が藩費によって行われた。

また、小出氏歴代の祈願所とされて藩主の直参や代参が行われ、胎金寺が別当寺と定められた。

近世には、宮本である竹井村の他に近郷諸村の共同の氏神とされたため「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」とも称された。実際には19ヶ村の総鎮守だったともされる。

宝暦11年(1762年)12月18日夕刻、近接していた胎金寺の庫裏からの失火が延焼し、社殿を含む境内一円がほぼ全焼、この時に古記録・宝物類も失われた。

社殿の再建は、藩主小出英持の援助や氏子の寄進により明和4年(1767年)7月に完成した。

これが現存する本殿などで、当時のものはいずれも府指定文化財となっている。寛文12年(1672年)の小出吉久による造営となる石造鳥居も府登録文化財。

参道にかかる摩気橋は、園部藩からの参拝時に下馬する定めであったため、「一に馬橋」とも称される。

明治の神仏分離で別当胎金寺を廃し、明治6年(1873年)に郷社に列した。その後、明治43年(1910年)には神饌幣帛料供進社の指定を受け、大正5年(1916年)3月6日に府社に昇格した。

主な祭事としては、現在は6月5日に近い日曜日に行われるお田植祭がある。

また神幸祭が10月第3土・日曜日に斎行される。摩気郷11ヶ村11社の祭りで、神輿の巡行、稚児行列、角力(すもう)、お千度参り、流鏑馬、船阪の御幣、仁江の的ぐりなどが行われる。

境内社として、本殿に向かって左手に鎮座する東摂社には船阪八幡宮、大坪八幡宮、西山八幡宮の三つの八幡宮と、仁江蛭子神社、口八田の葛城神社を祀る。

本殿に向かって右手に鎮座する西摂社には、黒田の熊野神社、横田の若宮神社と三輪神社、大村の加茂神社、宍人菅原神社、半田大森神社を祀る。

他に塞神社、琴平神社、山王神社、稲荷神社、伊勢神宮遥拝所がある。境外社に、御旅所(八幡神社、南丹市園部町船阪)がある。

映画『壬生義士伝』(2002年)のロケ地となったことでも知られる。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、家内安全・円満、子宝
摩氣神社 - 食・稲作の神を祀る園部藩小出氏の崇敬を受けた式内名神大社、10月に神幸祭
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摩氣神社の御朱印