高千穂峰の山頂「天之逆鉾」が社宝、祓川神楽が伝わる崇神朝の創建の古社
[住所]宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田6437
[電話]0984-42-3838

霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 日向国 諸県郡「霧嶋神社/霧島神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

主祭神が伊弉諾尊伊弉冉尊天照大神天忍穂耳尊瓊瓊杵尊彦火火出見尊鵜葺草葺不合尊地神五代と、神日本磐余彦尊を配祀する。

創建は第10代崇神天皇の御代と伝わる。式内社「霧嶋神社」の論社は他に、霧島岑神社東霧島神社霧島神宮があり、当社を含めていずれも霧島六社権現

平安時代の天暦年間(947年-957年)、天台宗の僧、性空上人が4年間霧島山に入峰した。

高千穂峰の周囲6ヶ所に鎮座するそれぞれの神社の傍らに寺院(別当寺)を建立し、後に霧嶋六社権現、霧嶋修験と呼ばれる神仏習合の霊場として開山する。

以来、当社は霧島山東御在所両所権現社、東御在所之宮と称えられた。霧島神宮古宮址から遷座したとも伝わる。

別当寺として千手観世音菩薩を本尊とする東光坊花林寺錫杖院があり、最盛期には360名を越す山伏行者が、山内に宿坊を営みつつ社寺の護持に勤めたとされる。

度重なる霧島山の噴火に社寺造営を重ねるが、室町時代の文明18年(1486年)の造営の際、天台宗より真言宗へと改められた。

以来、24世の別当職が続き、霧島六所権現の一社として霧島信仰を支え、南九州最大の修験道根本道場として尊崇を極める。

明治5年(1872年)の修験道廃止令により錫杖院は廃され、社名も改称されたが、今日でも神意佛心を崇める修行の霊場として、龍神信仰、天狗信仰、権現信仰を守り継ぐ。

社殿は江戸時代中期の享保12年(1722年)の造営より、幾度かの改修を経て現在に至る。

殿内奥に雌雄一対の龍柱が祀られ、向拝には江戸時代前期の寛文6年(1666年)、島津家19代当主、薩摩藩2代藩主島津光久の寄進による「東霧島坐(霧島の東に坐す)」の扁額がかかる。

高千穂峰の山頂を飛地境内とし、山頂に聳える天之逆鉾は当社の社宝として祀られている。天之逆鉾は『古事記』において、天沼矛として登場する。

この社宝は、少なくとも江戸期には祀られていたとされる。現在あるのはレプリカではある。

しかし、宮城県の鹽竈神社の境外末社である御釜神社の神竈、兵庫県高砂市の生石神社(高砂市)の石の宝殿とともに「日本三奇」の一つとされる。

例祭は11月8日・9日。毎年12月第2土・日曜日に、不浄を祓うために真剣を使って舞う祓川神楽が、高原町大字蒲牟田の祓川神楽殿もしくはその外の御講屋で奉納される。

祓川神楽は、狭野神社の狭野神楽ととも「高原の神舞」として、国の無形民俗文化財に指定されている。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
夫婦和合、子宝・安産、家内円満、子孫繁栄
霧島東神社 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田
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詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧

霧島六社権現
霧島岑神社(霧島山中央六所権現)
・霧島東神社(霧島東御在所両所権現)
霧島神宮(西御在所霧島六社権現)
東霧島神社(東霧島権現)
狭野神社(狭野大権現)
・夷守神社(夷守六所権現、霧島岑神社に合祀される)
白鳥神社(えびの市)
霧島東神社の御朱印