霧島六社権現の中心として栄える霧島信仰の核、日向三代とその后神を祀る
[住所]宮崎県小林市細野4937
[電話]0984-23-0855

霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)は、宮崎県小林市細野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 日向国 諸県郡「霧嶋神社/霧島神社」に比定される式内社(小社)の論社。日向国近代社格では県社。 

御祭神は、瓊々杵命木花咲耶姫命彦火々出見命豊玉姫命鸕鷀草葺不合命玉依姫命。皇室の祖先神である日向三代とその后神。

創建年代は不明であるが、天孫降臨から日向三代に関わりの深い神社とされている。

社伝によると、承和4年(837年)8月、従五位上を授けられたと『続日本後紀』に記載されている「霧島岑神」が当社であるといわれる。

『日本三代実録』には、天安2年(858年)従四位下に叙せられている。『延喜式』神名帳記載の「霧嶋神社」の他の論社に、東霧島神社霧島東神社霧島神宮があり、当社も含めいずれも霧島六社権現

神仏習合の時代には、参道途中のにある瀬多尾寺が別当寺として、大日如来が据えられ、霧島中央権現宮とも言われるようになった。

その後、霧島六社権現の中心として信仰を集め、霧島信仰が隆盛期を迎えた。

当初は高千穂峰と火常峰(ひのとこみね、御鉢の旧名)の中間地点「背門丘」(せとお)にあったが、霧島連山の噴火により社殿がたびたび焼失し、文暦元年(1234年)に天の井が渇水したことから麓に遷座することになった。

しかし、享保元年(1716年)に新燃岳が噴火し、社殿が再び焼失、同10年(1725年)に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座した。

明治6年(1873年)に同じく霧島六社権現に数えられていた夷守神社を合祀した後、夷守神社跡地に遷座し、現在に至る。

古来より島津氏をはじめ、伊東氏・北原氏等この地を領した諸氏の崇敬篤く、江戸時代においては藩主・島津氏の手厚い保護を受けるなど名社として栄えた。

霧島岑御神像六躰が市指定有形文化財となっている。例祭は11月18日。

【ご利益】
家内安全、子孫繁栄、縁結び・子宝・子育て
霧島岑神社 宮崎県小林市細野
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霧島六社権現
・霧島岑神社(霧島山中央六所権現)
霧島東神社(霧島東御在所両所権現)
霧島神宮(西御在所霧島六社権現)
東霧島神社(東霧島権現)
狭野神社(狭野大権現)
・夷守神社(夷守六所権現、霧島岑神社に合祀される)
白鳥神社(えびの市)
霧島岑神社の御朱印