義家が後三年の役の戦勝後に石清水八幡宮を勧請させた、梵天祭や掛唄など
[住所]秋田県横手市金沢中野字安本館4
[電話]0182-32-1418

金澤八幡宮(かねざわはちまんぐう、金沢八幡宮)は、秋田県横手市にある神社。近代社格では県社御朱印の有無は不明。

御祭神は八幡大神。秋田県神社庁によれば、誉田別尊(ほむたわけのみこと)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)であり、宇佐―石清水のラインとは違う、筥崎宮のタイプ。

後三年の役(1083年-1087年)で奥羽を平定した河内源氏の源義家が、奥州藤原氏初代の藤原清衡に命じ、京都の石清水八幡宮の八幡神を、陥落させた金沢柵跡に勧請し、社殿を創建した。その際は、金澤八幡神社と称した。

江戸時代には、源義家の弟・源義光の末裔である佐竹氏が秋田藩主となったため、厚く信仰され、1604年(慶長9年)以来十数回の修改築がなされている。

慶長7年(1602年)、佐竹義宣は、当社の荒廃を見て、別当土肥胤信に命じて神殿の改築を行わせ、社領35石を付して祭祀料に充てさせた。別当土肥氏は慶長以前より神職だったと考えられるが、詳細は不詳。

延宝年間(1673年-1681年)、別当土肥安芸は、藩主佐竹義処の怒りに触れて追放に処せられた。その際、社宝のほとんどが紛失したとされる。平成元年(1989年)に現社号に改称した。

例祭は9月15日。前日の14日が宵宮で奉納掛唄、あるいは掛唄奉納祭とも呼ばれ、仙北荷方節にあわせて即興で歌をかけあう。15日当日には奉納相撲、ささら舞がある。ささら舞は佐竹氏家臣茂木百騎の茂木ささらの流れを汲む三頭獅子の舞。

2月18日に梵天奉納が行われる。梵天祭・ぼんでん祭りなどとも。火伏せ祭りが起源とされるが、今日では小正月行事として定着している。

境内社に神明社、兜八幡神社がある。兜八幡神社には兜杉、兜石などがあり、源義家・義光兄弟を祀り、戦勝後の義家が凱旋の折に兜を埋めて其の上に石を置いたとされる。

矢によって片目を射抜かれても戦ったとされる鎌倉景政由来の景政功名塚や、兵糧不足に悩んだ義家軍の馬の背で大豆が発酵し納豆が誕生したという伝承がのこる(納豆発祥地)。

【ご利益】
厄祓い、安産、武運長久・勝運
金澤八幡宮 - 義家が後三年の役の戦勝後に石清水八幡宮を勧請させた、梵天祭や掛唄など
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