江戸期の社殿は重文ずらり、9月の例祭期間には南北朝時代以来伝統の流鏑馬
[住所]福島県いわき市平字八幡小路84
[電話]0246-21-2444

飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)は、福島県いわき市にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、前九年合戦後の康平6年(1063年)に、源頼義によって創建されたと伝えられる。これとは別に、石清水八幡宮を勧請して文治2年(1186年)に建立したとする伝えもある。

御祭神は、品陀別命(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后)・比売神(仲姫命)。

建永元年(1247年)、時の執権北條時頼は、幕府政所執事伊賀光宗を好嶋荘の預所に任命した。以後、伊賀氏に連なる飯野氏が代々神官を世襲する。

南北朝期に焼失したものの、建武2年(1335年)、足利尊氏に訴願して、好嶋荘地頭衆に命じ修復させた。

この間、建暦元年(1211年)に御浜出の神事(潮垢離)、貞和2年(1346年)に放生会における流鏑馬の神事が行われるなど、数多くの祭礼行事が整った。

室町時代には神領の減少が見られたが、菊田・磐崎・磐城・楢葉・標葉の岩城五郡の総社として、岩城氏を始め一般庶民からも厚い信仰を受けた。

特に岩城氏は数度にわたって所領を寄進し、天文20年(1551年)、岩城重隆は梵鐘を奉納した。

当初は、好嶋荘(好嶋西荘)政所が置かれた岩城郡飯野郷(村)の赤目崎見物岡(現在のJR常磐線いわき駅北側の高台)に建設され、12世紀以後に岩城氏が当地を本拠地にした時期を通して続いた。

関ヶ原合戦後に岩城氏は追放され、代わって徳川譜代の鳥居忠政が入ると、慶長7年(1602年)に現在地である八幡小路(福島地裁いわき支部の近く)に移設された。

旧地には磐城平城が築城された。なお、安藤氏が磐城平藩主だった時期(1756年-1868年)には、八幡小路に藩校施政堂が立地していた。

牛頭天王社(現 子鍬倉神社の境内社である八坂神社)、子鍬倉神社とともに平城三社の一つとして、歴代藩主の崇敬を受けた。

明治12年(1879年)、県社に列せられた。明治6年(1873年)、宮号の使用が禁止された後は飯野八幡神社と称していたが、昭和36年(1961年)に古称に復した。

下記がいずれも国の重要文化財に指定されている。

・元和2年(1616年)上棟の本殿
・元和5年(1619年)建立の若宮八幡社本殿
・元和9年(1623年)建立の神楽殿
・江戸初期建立の宝蔵
・万治元年(1658年)建立の楼門
・寛文13年(1673年)建立の仮殿
・元禄16年(1703年)頃建立の唐門

また、「備州長船住盛景 貞治六年十一月日」(貞治6年は1367年)の銘がある大薙刀や、1683通の飯野家文書も国の重要文化財。

例祭は9月15日。その半月前から鎌倉時代-南北朝時代以来伝統の各種神事が斎行され、例祭前の土日を目処に流鏑馬が行われる。

【ご利益】
厄祓い、安産祈願、家内円満(公式HP
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飯野八幡宮の御朱印