大和国穴師を勧請・遷座した滋賀県野洲の古社、名勝の庭園や紅葉ライトアップ
[住所]滋賀県野洲市五条566
[電話]077-589-2072

兵主大社(ひょうずたいしゃ)は、滋賀県野洲市にある神社。正式名称は兵主神社であるが、通常は兵主大社と称する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「兵主神社(近江国・野洲郡)」に比定される式内社(名神大社)。兵主神社の一つ。ただし、『延喜式臨時祭』「名神祭」には掲載されていない。近代社格では県社

八千矛神(やちほこのかみ、大国主神)を主祭神とし、足名椎神手名椎神を配祀する。

「兵主」の神を祀る神社は日本全国に約50社あり、『延喜式神名帳』に19社記載されているが、その中で名神大社は当社と、大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社のみ。

社伝『兵主大明神縁起』によれば、第12代景行天皇58年、景行天皇は皇子・稲背入彦命(稲背入彦皇子。播磨国造の祖)に命じて大和国穴師に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬した。

近江国高穴穂宮への遷都に伴い、稲背入彦命は宮に近い穴太(滋賀県大津市坂本穴太町)に社地を定め、勧請・遷座した。

稲背入彦皇子については、姫路市の白國神社にも関連伝承が残る。

第29代欽明天皇の時代、播磨別らが琵琶湖を渡って東に移住する際、再び遷座して現在地に社殿を造営し鎮座したと伝え、以降、播磨別の子孫が神職を世襲している。

治承4年(1180年)には正一位勲八等兵主大神宮の勅額が贈られている。

中世には、「兵主」を「つわものぬし」と読むことより、武士の厚い信仰を得た。

中でも源頼朝・足利尊氏による神宝の寄進・社殿造営があり、社宝として残されている。朱塗りの楼門が尊氏の寄進と伝わる。市指定文化財。

近世、江戸時代には、徳川将軍家から社領の寄進を受け、厚い保護を受けた。

例祭は5月5日で、兵主祭。以前は秋にも大名祭が行われ、競馬があったが、現在は春季のみ。当日午後には各氏子から大小約30の御輿や太鼓が当社参道に集まり、クライマックスの神輿渡りが行われる。

白絹包腹巻 1具が国の重要文化財に指定されている。鍍銀籠手金具・鍍銀臑当(すねあて)・茜威喉輪(あかねおどしのどわ)・白生絹袷小袖・萌黄地白茶格子生絹袷小袖・緂帯・唐櫃からなる。

金銅種子華鬘(こんどうしゅじけまん)6枚、刺繍三昧耶幡(ししゅうさまやばん)17旒が文化庁買上げとなり、現在は奈良国立博物館の所蔵となっている。

国認定の重要美術品として、革箙(かわえびら)・錦包箙・梓弓・伏竹弓・黒漆弓・木造唐鞍神馬・木造神馬がある。

社殿南の庭園は、平安時代後期の作といわれ、池を中心とした美しい名園であり、国指定の名勝となっている。秋の紅葉の季節には境内や庭園がライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出す。

【ご利益】
安産祈願、良縁・縁結び、武運長久、身体壮健
兵主大社 - 大和国穴師を勧請・遷座した滋賀県野洲の古社、名勝の庭園や紅葉ライトアップ
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兵主大社の御朱印