『古事記』のアカルヒメが坐す社、住吉大社とも関連、杭全神社境外社
[住所]大阪府大阪市平野区平野東2-11-71
[電話]-

赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)は、大阪府大阪市平野区にある神社。通称は三十歩社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 住吉郡「赤留比売命神社」に比定される式内社(小社)。現在は杭全神社の飛地境内社、境外社である。

御祭神は赤留比売命(阿加流比売命)。『日本書紀』では、第11代垂仁天皇の時代のこととして、渡来伝承とともに、下記のように伝えている。
現在の韓国南部にあったと考えられている意富加羅国(おほからのくに)の王子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が、白石から生まれた童女(阿加流比売神)に求婚すると、美女は消え失せ、都怒我阿羅斯等が追いかけると日本に渡り、摂津及び姫島に至って比売語曽社の神となった。
このうち、姫島(大分県東国東郡)には現在も比売語曽社があり、摂津のものが当社となる。つまり、当社は国史見在社の一つである。

『日本書紀』に掲載されている伝承は、『古事記』においては天之日矛と阿加流比売命の話として描かれている説話と類似している(『古事記』の該当箇所)。

『古事記』には「此者坐難波之比賣碁曾社、謂阿加流比賣神者也」とある。

大阪市東成区の比売許曽神社、大阪市中央区の高津宮の境内社である比売古曽神社があるが、『延喜式神名帳』ではそれらを下照比売社として、阿加流比売命を祀る当社とは区別している。

当社の創建年代は不詳。

俗に三十歩社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の応永年間(1394年-1428年)に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事による、あるいは当時の境内地の広さが三十歩であったことによる、という。

かつては住吉大社の末社であった。その縁で、7月31日に行われる住吉大社の例大祭「荒和大祓」に、当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣習となっている。

社殿背後の土塁と松山池は環濠集落の名残が見られる数少ない場所の一つという。

『住吉大社神代記』には、御子神として赤留比売神の名が登場する。一説には『古事記』における天之日矛の追撃から阿加流比売命を守ったのは、住吉の神、つまり住吉大社とも。

時代から考えると、この時、住吉大社には神功皇后はまだ祀られていない。天之日矛の相当の末裔から神功皇后が出るため。

当初、赤留比売神は住吉大社の比売神として祀られたが、後に神功皇后と入れ替わり、赤留比売神を祀る当社が創建された、との仮説もある。

赤留比売神が当地から丹後国を経て、最終的に伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の御祭神・豊受大神となった、との説も含め、詳細はこちら

明治30年に瀬戸口町より移された境内末社である天満宮と金刀比羅神社とともに、大正3年、杭全神社の境外末社となった。例祭は4月16日。

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赤留比売命神社 - 『古事記』のアカルヒメが坐す社、住吉大社とも関連、杭全神社境外社
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