江戸期までは牛頭天王社とされた、近世比定の式内名神大社
[住所]大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14
[電話]06-6981-0203

比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)は、大阪府大阪市東成区東小橋にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 東生郡「比売許曽神社」に比定される式内社(名神大社・月次相嘗新嘗)の論社。近代社格では村社。

現在は、下照比売命を主祭神とし、速素盞嗚命味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命橘豊日命を配祀する。大小橋命は藤原氏の祖の一人で、天児屋根命から数えて12世の孫、中臣鎌足の8代前の祖。

式内社「比売許曽神社」の論社としては他に、高津宮の境内社に比売古曽神社がある。

『古事記』には、新羅から来た阿加流比売神が難波の比売碁曽の社に坐すと記されており(『古事記』の該当箇所)、『日本書紀』にも同様の記述がある。

『日本書紀』に記載される大分県東国東郡の姫島には比売語曽社がある。

ただし、『延喜式』神名帳では下照比売社が比売許曽神社であると記し、阿加流比売命を祀る赤留比売命神社(現 杭全神社の境外摂社)は住吉郡に記している。

第11代垂仁天皇2年7月、愛来目山(現在の天王寺区小橋町一帯の高台)に下照比売命を祀り、「高津天神」と称したことに始まると伝えられる。

第23代顕宗天皇の時代に社殿が造営された。当社の境外末社・産湯稲荷神社がある地が旧鎮座地と推定されている。

天正年間(1573年-1593年)、織田信長の石山本願寺攻めの兵火に遭って社殿を焼失した。社伝では、御神体は焼失を免れ、摂社であった現在地の牛頭天王社内に遷座したと伝えている。

天正以後は荒廃し、所在が不明となっていたが、天明8年(1788年)、ある者が旧記神宝を発見したと唱え、それに基づいて当社の縁起が編纂され、牛頭天王社を式内社に比定した。

しかし、『大阪府神社史資料』では、その縁起は「信ずべきものにあらず」と記している。

明治5年に村社に列した。例祭は10月15日。7月に夏祭りがあり、だんじり祭りとして、山車の巡行がある。

境内社に白玉稲荷神社、大国主社(大国主命)がある。また、大小橋命胞衣塚や日露戦役記念碑がある。

【ご利益】
厄祓い、安産・子育て、家内円満
比売許曽神社(東成区) - 江戸期までは牛頭天王社とされた、近世比定の式内名神大社
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比売許曽神社(東成区)の御朱印