日本武尊と、聖徳太子の父・用明天皇の逗留、白鳥伝説・信仰が残る古社
[住所]宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬台部2-1
[電話]0224-52-1382
大高山神社(おおたかやまじんじゃ)は、宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「大高山神社(陸奥国・柴田郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では郷社。
主祭神は、日本武尊・橘豊日尊(第31代用明天皇)。迦具土命・大山祇命・倉稲魂命・火産霊命・白山菊理媛を合祀する。社伝によれば、第30代敏達天皇元年(572年)に日本武尊を主祭神として創建されたという。
当社の縁起書や『安永風土記』『奥羽観蹟聞老志』などによれば、当地は、日本武尊が蝦夷征伐のための東征の折に仮宮を立てて住んだと伝わり、その仮宮の跡地に「白鳥大明神」と称する社殿を設け、日本武尊を奉斎したという。
また、第32代崇峻天皇2年(588年)には主祭神として橘豊日尊が合祀された。
これは、用明天皇が橘豊日尊と呼ばれた皇子の頃、勅命により当地へやってきたことがあり、用明天皇の皇子である聖徳太子がその縁により当社へ合祀したと伝わる。
『続日本後紀』によれば、承和9年(842年)には従五位下の神階を授けられ、貞観11年(869年)3月には従五位上に昇叙した。享保20年(1735年)3月には宗源宣旨により神階最高位である正一位の位階を得た。
往古は当社の北東にある金ケ瀬地区新開(旧柴田郡平村)の台ノ山に鎮座していたが、元禄年間(1688年-1704年)初期に起きた火災で社殿が焼失。
そのため、金ケ瀬地区の新開126番地に遷座し、大正3年(1914年)に新開から現在地である金ケ瀬地区の神山へと移築・再遷座した。
現在も新開126番地の旧社地には鳥居と石祠が残る。例祭は10月15日。8月29日の夏祭り、10月11日の秋の例大祭などには出雲流の岩戸神楽と伝えられている堤神楽が奉納される。
文治年間(1185-1189年)に藤原秀衡の三男である藤原忠衡が寄進した鉄九輪塔や、室町時代末期から日本へ渡来した精鋳鉄や洋式鉄鋳などの鋼鉄を用いた南蛮鉄鳥居がある。
拝殿には、主祭神の日本武尊がクマソタケルを討伐する様子と思われる絵馬がある。
境内北側に蚕影神社が鎮座する。稚産霊命・埴山姫命・木花開耶姫命を祀る。
文治元年(1185年)に常陸国筑波郡神郡村(茨城県つくば市神郡)に鎮座する蚕影神社から勧請し、昭和41年(1966年)に現在地へ遷座したという。
鎌倉末期、伏見天皇(在位:1287年-1298年)の時代に奉納されたと伝わる鰐口が国の重要文化財に指定されている。
その間に、当地の長者である赤坂長者の娘である玉倚姫(たまよりひめ)と恋に落ちた。
玉倚姫は性格温厚・貞淑で世にも稀な美人で、尊の寵愛を受けた。ある日、玉倚姫は“白鳥が飛来して体内に入る夢”を見ると、まもなくして皇子が生まれた。
尊は「陸奥国に来てから白鳥を神と崇めて祈願したことによるものだ」として大いに喜んだ。
皇子が生まれた後、尊は都への帰還命令を受けたが、別れを惜しんでそばを離れようとしない玉倚姫に「3年後には必ず迎えの使者を使わす」と約束をかわして帰っていった。
尊を想い3年が過ぎたが使者は一向に来ず、玉倚姫は病に倒れてしまう。皇子の乳母はそんな玉倚姫を見るに偲びず、皇子を抱いて河畔にやってきた。
そこで「玉倚姫は今、父である橘豊日尊を想い、病で命を落とそうとしています。皇子であるあなたは神の化身であるから、どうか母君の身代わりになって父君をこの地へお戻しください」と祈り、皇子を川へと投げた。
すると、皇子は不思議な事に白鳥へと変わり、深谷の鳥越の里から尊の住む大和へと飛び立った。
やがて、橘豊日尊のもとに玉倚姫の訃報が届き、玉倚姫のために立派な墓を設けて弔ったところ、白鳥が空へと飛び立ち、玉倚姫の墓の上空を日夜鳴きながら旋回したと伝わる。
そのため、橘豊日尊は日本全国に白鳥を祀る「白鳥社(白鷹社)」を建てたという。当社の名称も「白鷹社」が「大鷹社」に変化したものだという。
宮城県南部の柴田郡や刈田郡などの白石川沿いの地域は、ハクチョウを神の使いとして崇敬する「白鳥信仰」と呼ばれる信仰が強い地域である。
当社の他にも、蔵王町宮の刈田嶺神社には「白鳥古碑群」という石碑群が残されている。
日本武尊に関係する同様の話も残されており、刈田嶺神社の南には、日本武尊が当地に残した子供を乳母が投げ捨てた川とされる「児捨川」「児捨川橋」がある。
現在は、児童虐待を連想させるいう理由により、橋の名前は「白鳥橋」へ改名されている。
【ご利益】
学業成就・合格祈願、良縁・安産祈願、心願成就など(公式HP)
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[電話]0224-52-1382
大高山神社(おおたかやまじんじゃ)は、宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「大高山神社(陸奥国・柴田郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では郷社。
主祭神は、日本武尊・橘豊日尊(第31代用明天皇)。迦具土命・大山祇命・倉稲魂命・火産霊命・白山菊理媛を合祀する。社伝によれば、第30代敏達天皇元年(572年)に日本武尊を主祭神として創建されたという。
当社の縁起書や『安永風土記』『奥羽観蹟聞老志』などによれば、当地は、日本武尊が蝦夷征伐のための東征の折に仮宮を立てて住んだと伝わり、その仮宮の跡地に「白鳥大明神」と称する社殿を設け、日本武尊を奉斎したという。
また、第32代崇峻天皇2年(588年)には主祭神として橘豊日尊が合祀された。
これは、用明天皇が橘豊日尊と呼ばれた皇子の頃、勅命により当地へやってきたことがあり、用明天皇の皇子である聖徳太子がその縁により当社へ合祀したと伝わる。
『続日本後紀』によれば、承和9年(842年)には従五位下の神階を授けられ、貞観11年(869年)3月には従五位上に昇叙した。享保20年(1735年)3月には宗源宣旨により神階最高位である正一位の位階を得た。
往古は当社の北東にある金ケ瀬地区新開(旧柴田郡平村)の台ノ山に鎮座していたが、元禄年間(1688年-1704年)初期に起きた火災で社殿が焼失。
そのため、金ケ瀬地区の新開126番地に遷座し、大正3年(1914年)に新開から現在地である金ケ瀬地区の神山へと移築・再遷座した。
現在も新開126番地の旧社地には鳥居と石祠が残る。例祭は10月15日。8月29日の夏祭り、10月11日の秋の例大祭などには出雲流の岩戸神楽と伝えられている堤神楽が奉納される。
文治年間(1185-1189年)に藤原秀衡の三男である藤原忠衡が寄進した鉄九輪塔や、室町時代末期から日本へ渡来した精鋳鉄や洋式鉄鋳などの鋼鉄を用いた南蛮鉄鳥居がある。
拝殿には、主祭神の日本武尊がクマソタケルを討伐する様子と思われる絵馬がある。
境内北側に蚕影神社が鎮座する。稚産霊命・埴山姫命・木花開耶姫命を祀る。
文治元年(1185年)に常陸国筑波郡神郡村(茨城県つくば市神郡)に鎮座する蚕影神社から勧請し、昭和41年(1966年)に現在地へ遷座したという。
鎌倉末期、伏見天皇(在位:1287年-1298年)の時代に奉納されたと伝わる鰐口が国の重要文化財に指定されている。
白鳥信仰と伝説
欽明天皇の皇子である橘豊日尊は、勅命により東国巡幸の旅に出た。東国の住民は橘豊日尊を宮居を造営して心から歓待し、尊も約3年間滞在したという。その間に、当地の長者である赤坂長者の娘である玉倚姫(たまよりひめ)と恋に落ちた。
玉倚姫は性格温厚・貞淑で世にも稀な美人で、尊の寵愛を受けた。ある日、玉倚姫は“白鳥が飛来して体内に入る夢”を見ると、まもなくして皇子が生まれた。
尊は「陸奥国に来てから白鳥を神と崇めて祈願したことによるものだ」として大いに喜んだ。
皇子が生まれた後、尊は都への帰還命令を受けたが、別れを惜しんでそばを離れようとしない玉倚姫に「3年後には必ず迎えの使者を使わす」と約束をかわして帰っていった。
尊を想い3年が過ぎたが使者は一向に来ず、玉倚姫は病に倒れてしまう。皇子の乳母はそんな玉倚姫を見るに偲びず、皇子を抱いて河畔にやってきた。
そこで「玉倚姫は今、父である橘豊日尊を想い、病で命を落とそうとしています。皇子であるあなたは神の化身であるから、どうか母君の身代わりになって父君をこの地へお戻しください」と祈り、皇子を川へと投げた。
すると、皇子は不思議な事に白鳥へと変わり、深谷の鳥越の里から尊の住む大和へと飛び立った。
やがて、橘豊日尊のもとに玉倚姫の訃報が届き、玉倚姫のために立派な墓を設けて弔ったところ、白鳥が空へと飛び立ち、玉倚姫の墓の上空を日夜鳴きながら旋回したと伝わる。
そのため、橘豊日尊は日本全国に白鳥を祀る「白鳥社(白鷹社)」を建てたという。当社の名称も「白鷹社」が「大鷹社」に変化したものだという。
宮城県南部の柴田郡や刈田郡などの白石川沿いの地域は、ハクチョウを神の使いとして崇敬する「白鳥信仰」と呼ばれる信仰が強い地域である。
当社の他にも、蔵王町宮の刈田嶺神社には「白鳥古碑群」という石碑群が残されている。
日本武尊に関係する同様の話も残されており、刈田嶺神社の南には、日本武尊が当地に残した子供を乳母が投げ捨てた川とされる「児捨川」「児捨川橋」がある。
現在は、児童虐待を連想させるいう理由により、橋の名前は「白鳥橋」へ改名されている。
【ご利益】
学業成就・合格祈願、良縁・安産祈願、心願成就など(公式HP)
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