摂津で住吉大社に次ぐ権威、『古事記』にもある依網池の守護神として繁栄
[住所]大阪府大阪市住吉区庭井2-18-16
[電話]06-6691-3315

大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は、大阪府大阪市住吉区庭井にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 住吉郡「大依羅神社四座」に比定される式内社(名神大社・月次相嘗新嘗)。近代社格では府社

御祭神は大己貴命月讀命垂仁天皇、五十猛命(またの名を大屋毘古神)、住吉三神である底筒之男命中筒之男命上筒之男命建豊波豆羅和気王

『延喜式』神名帳には四座とあるため、大己貴命・月讀命・垂仁天皇・五十猛命ともされるが、由緒から考えれば、住吉三神と建豊波豆羅和気王か。

社伝によれば、神功皇后の三韓征伐の際、依羅吾彦男垂見が住吉三神と祖先の建豊波豆羅和気王に戦勝を祈り、帰国後は、依羅吾彦の一族が神主となったという。

建豊波豆羅和気王は第9代開化天皇の皇子で、『古事記』にも「道守の臣、忍海部の造、御名部の造、稲羽の忍海部、丹波の竹野の別、依網の阿毘古らの祖」と出てくる。

依網の阿毘古が依羅吾彦であり、当社ゆかりと思われる。他に、大阪市東住吉区には阿麻美許曾神社がある。

依網氏にゆかりのある依網池は『古事記』に少なくとも二度現れる、古代日本にとっては極めて重要かつ有名で、最古級と呼べる人工池だった。

10万余坪の大池だったが、宝永元年(1704年)の大和川開繋の土功により縮少し、その後の埋め立てもあって現存しない。

依網氏はこの広大な依羅池の灌漑による水田を支配し、屯倉を預かり、該当地方では相当の経済力・政治力を有した一族で、当社はその池や垂涎の守護神という位置付け。

摂津において、住吉大社に次ぐ格や権威があったとされるのもうなずける。

一方で、神功皇后の出兵、住吉、池、船とこの神社の周辺には木材の匂いが濃厚であり、木の神である五十猛命を奉祀する人々がこの地に住んで造船などに従事していた、との指摘もある。

第48代称徳天皇の天平神護元年(765年)、摂津備前18戸を当社に充て、第54代仁明天皇の承和14年(847年)7月、修造して官社に預かり、第57代陽成天皇の元慶3年(879年)6月14日に神財を奉られた。

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「大依羅社四座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。八十嶋神祭(八十島祭)の条にも記載される。

付近に残る「我孫子」の地名は依羅吾彦にちなむもの。朝廷からの崇敬を受け、極めて繁栄したが、南北朝時代に依羅氏が衰微し、社殿も焼失して社勢が衰えたという。

文禄年間(1593年-1596年)には豊臣秀吉により社領を没収されている。

明治時代に式内社「草津大歳神社」「奴能太比売神社」など5社を合祀した。昭和6年(1931年)10月1日、府社に列格。

なお、式内社「草津大歳神社」の論社には、あまり有力視されていないが、住吉大社の境外社である大歳社がある。

境内西南の一隅に、龍神井と称する雨乞井がある。

龍蛇の女神が住んでいるとされ、農夫がその女神の願い通り、女神の邪魔になっていた鉄製農具の萬鍬を除いてあげたために、祈雨祭を行えば必ず甘雨沛然として至るといわれるほど、当社は祈雨の神としても有名になった。

また、境内には御神木の大きい楠木がある。槙、樫など木々が多く、現在でも見事な社叢を形成している。

例祭4月16日。境内には複数の末社がある。

【ご利益】
水・天候の神、五穀豊穣・商売繁盛、諸願成就
大依羅神社 - 摂津で住吉大社に次ぐ権威、『古事記』にもある依網池の守護神として繁栄
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大依羅神社の御朱印