東北地方の「多賀神社」の根源、歴代相馬藩主から崇敬された古社
[住所]福島県南相馬市原町区高城ノ内112
[電話]0244-22-7312

多珂神社(たかじんじゃ)は、福島県南相馬市原町区にある神社。『延喜式神名帳』にある「多珂神社(陸奥国・行方郡)」に比定される式内社(名神大社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は伊邪那伎命。相馬藩内の郷土史資料である『奥相志』によれば、伊邪那伎命の荒魂である「多珂荒御魂命」を祀るとする。

当社は、陸奥国行方郡に鎮座する延喜式内社八座の首座。「多賀神社」の名を持つ神社の中で、全国で唯一の名神大社で、東北地方の多賀神社は、当社を根源とするものだとも。

由緒は不詳だが、創建は第12代景行天皇40年に、東征のためにこの地を訪れた日本武尊により、戦勝祈願のために勧請されたと伝えられる。

現在の鎮座地の北西にある古内地区には太田川が流れており、そこには「大明神河原」という場所があるという。往古の社地は大明神河原の南の丘陵地にあったと伝わる。

第14代仲哀天皇7年2月、暴風雨により社殿が流されて大破し、近くの太田川の岸辺に漂着した。同年9月に現在の鎮座地となる芦野平に遷座した。

式内社「多珂神社」の論社は他に、南相馬市小高区の相馬小高神社近くに鎮座する貴船神社がある。貴船神社に、式内社「多珂神社」が同床同座しているという。

式内社「多珂神社」は、『日本後紀』延暦15年(796年)10月22日に、「多賀神」が従五位下との表記が見られる。

康暦2年(1380年)と藤原吉守寄進の銘がある鰐口があり、本殿内陣に掛けられているという。承応四乙巳年(1655年)4月から明暦元年(同年)には宮祠を修復し、相馬忠胤が木材を寄進した。

元禄年間には相馬昌胤が崇敬する吉田神道の神殿である「養真殿」を城内に建立、その際に故あって当社へ「白符の鷹」の像を彫刻して奉納した。現在も社宝として本殿内に安置されている。

享保9年(1724年)に、相馬昌胤が社田1石9斗余を寄進するなど、歴代相馬藩主からも篤い崇敬を受けた。

明治6年(1873年)に郷社に指定、昭和19年(1944年)には県社へ昇格した。

境内社に、当社旧本殿が使用されている八坂稲荷神社(八坂神社・稲荷神社)、雷神社、青麻大権現(青麻神社)石碑などがある。参道には神池があり、中央の小島には子牛田山津見神社の小祠と金毘羅神社の石碑が鎮座している。

2011年、東日本大資産の影響で、相馬小高神社が福島第一原子力発電所の事故に伴う警戒区域内となり、開催が危ぶまれた「相馬野馬追」だが、当社が小高神社に代わって馬上げ神事などが行われた。

【ご利益】
戦勝祈願・延命長寿・願望成就・家内安全・安産成就・海上安全・大漁満足など
多珂神社(原町区) - 東北地方の「多賀神社」の根源、歴代相馬藩主から崇敬された古社
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多珂神社(原町区)の御朱印