秀吉ゆかり、熱田神宮「御子神」で「高座さま」と親しまれる子育ての神
[住所]愛知県名古屋市熱田区高蔵町9-9
[電話]052-671-0400
高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)は、愛知県名古屋市熱田区高蔵町にある熱田神宮の境外摂社で、熱田七社の一つ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「高座結御子神社(尾張国・愛智郡)」に比定される式内社(名神大社)。
熱田神宮と同じく尾張の祖神として、高倉下命(たかくらじのみこと)を祀る。高蔵地域の鎮守神・産土神で、地元では「高座さま」と呼ばれ篤く信仰されている。
その母は、市内白鳥町に鎮座し、やはり熱田神宮の境外摂社である青衾神社で祀られている。
ただし、社名にもある通り、古くから「御子神」とされ、熱田神宮は御神体として草薙の剣を祀るものの、その人格は日本武尊とされる。
そのため、当社御祭神をその御子である第14代仲哀天皇、あるいは異母弟に当たる第13代成務天皇、さらに成務天皇・仲哀天皇両神とする説がある。
創建は不詳。伝承では天武天皇の御世(673年-686年)とも、熱田神宮本宮と同時期とも伝わる。
当社および高蔵公園の周辺では、高蔵貝塚・高蔵古墳群などの弥生時代から古墳時代に渡る遺跡(高蔵遺跡)の立地が知られる。
この高蔵遺跡は東西約500メートル・南北約700メートルにおよぶ大規模なもので、弥生時代の遺跡としては全国的にも知られる。
国史では、『続日本後紀』承和2年(836年)条において尾張国の日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の熱田大神御児神三神を名神に列するという旨の記述がある。
『尾張国内神名帳』では「高蔵名神」または「高座明神」と記載されている。
元亀2年(1571年)の造営の際には織田信長からの寄進があったほか、江戸時代の元和4年(1618年)には蜂須賀家政による修理があった。
また貞享3年(1686年)の江戸幕府による熱田神宮造営の際には当社も修理の対象となった。
社殿は尾張造の丹塗りであったが、昭和20年(1945年)に戦災でほとんどを焼失、昭和38年(1963年)に焼失以前に準じる形態で再建された。
例祭は6月1日。4月3日には子預祭が行われ、幼児の成長と虫封じを祈願して15歳まで子供を御祭神に預け、無事成長した暁にはお礼参りをする。土用入の日には御井祭がある。
境内には現在、鉾取社(鉾取神)、新宮社(素盞嗚尊)、御井社(御井神)、稲荷社(宇迦之御魂神)の四社がある。近世には他に御手洗神社・海神社があったという。
このうち、稲荷社は、豊臣秀吉の母のなか(のちの大政所)が幼少の秀吉を連れて立身出世を祈ったといわれ、「太閤出世稲荷」の別名を持つ。祭典は初午の日。
【ご利益】
子育ての神
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高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)は、愛知県名古屋市熱田区高蔵町にある熱田神宮の境外摂社で、熱田七社の一つ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「高座結御子神社(尾張国・愛智郡)」に比定される式内社(名神大社)。
熱田神宮と同じく尾張の祖神として、高倉下命(たかくらじのみこと)を祀る。高蔵地域の鎮守神・産土神で、地元では「高座さま」と呼ばれ篤く信仰されている。
その母は、市内白鳥町に鎮座し、やはり熱田神宮の境外摂社である青衾神社で祀られている。
ただし、社名にもある通り、古くから「御子神」とされ、熱田神宮は御神体として草薙の剣を祀るものの、その人格は日本武尊とされる。
そのため、当社御祭神をその御子である第14代仲哀天皇、あるいは異母弟に当たる第13代成務天皇、さらに成務天皇・仲哀天皇両神とする説がある。
創建は不詳。伝承では天武天皇の御世(673年-686年)とも、熱田神宮本宮と同時期とも伝わる。
当社および高蔵公園の周辺では、高蔵貝塚・高蔵古墳群などの弥生時代から古墳時代に渡る遺跡(高蔵遺跡)の立地が知られる。
この高蔵遺跡は東西約500メートル・南北約700メートルにおよぶ大規模なもので、弥生時代の遺跡としては全国的にも知られる。
国史では、『続日本後紀』承和2年(836年)条において尾張国の日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の熱田大神御児神三神を名神に列するという旨の記述がある。
『尾張国内神名帳』では「高蔵名神」または「高座明神」と記載されている。
元亀2年(1571年)の造営の際には織田信長からの寄進があったほか、江戸時代の元和4年(1618年)には蜂須賀家政による修理があった。
また貞享3年(1686年)の江戸幕府による熱田神宮造営の際には当社も修理の対象となった。
社殿は尾張造の丹塗りであったが、昭和20年(1945年)に戦災でほとんどを焼失、昭和38年(1963年)に焼失以前に準じる形態で再建された。
例祭は6月1日。4月3日には子預祭が行われ、幼児の成長と虫封じを祈願して15歳まで子供を御祭神に預け、無事成長した暁にはお礼参りをする。土用入の日には御井祭がある。
境内には現在、鉾取社(鉾取神)、新宮社(素盞嗚尊)、御井社(御井神)、稲荷社(宇迦之御魂神)の四社がある。近世には他に御手洗神社・海神社があったという。
このうち、稲荷社は、豊臣秀吉の母のなか(のちの大政所)が幼少の秀吉を連れて立身出世を祈ったといわれ、「太閤出世稲荷」の別名を持つ。祭典は初午の日。
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