継体天皇の父母を祀る、古来より4月の「牛の祭り」で知られる近江の古社
[住所]滋賀県高島市安曇川町常磐木1239
[電話]0740-33-7101 - びわ湖高島観光協会

三重生神社(みおうじんじゃ)は、滋賀県高島市安曇川町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「三重生神社(近江国・高島郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。第15代応神天皇の第11皇子速総別王猿田彦命の天成神道を学ぶために猿田彦命を祀る当地に来住し定住。その4世孫が彦主人王。

第11代垂仁天皇皇子で、『古事記』にも三尾の君の祖とある磐衝別命(いわつくわけのみこと)がやはり以前から定住し、その末裔が振媛(振姫、ふりひめ)で、彦主人王と振媛は結婚した。

彦主人王が当地で薨じたので、社を建て斎祀したのが当社。振媛も後に合祀された。生前の彦主人王は、余暇に山狩や河漁を楽しんだと伝えられる。

彦主人王の夢に「この度天より授かる子は天孫の大いなる迹をふむべき男子なり」と三尾大明神のお告げがあった。

そこで山崎社(三尾神社)の拝殿を産所として南天に祈り、自らも北の仮社で北極星に祈祷、その結果、二人には彦人、彦杵、彦太の三子に恵まれたという。

これが当社号「三重生」の由来となっている。御子らが5歳の時、彦主人王が薨じたので、振媛は彦杵と彦太を連れて越前高向館に帰り、養育した。

しかし、その13年後に振媛も薨じた。二柱とも2月18日が命日と伝わり、明治維新までこの日を例祭としていた。

現在は4月29日が例祭日。古き良き時代を思わせる神事が厳粛に執り行われるという。4月18日に「牛の祭り」と呼ばれる祭礼もある。

なお、長男である彦人王(天迹部皇子)は、この地で成長して紃史(刺史)となって北越五ヶ国を治めたと伝わる。三男の彦太尊は、後の第26代継体天皇となる。

彦主人王の墓は安曇陵墓参考地で、近くには田中神社がある。当社は古来、勅使参向の社であり、勅使が詠んだ歌二首が伝わる。
近江なる うしの祭りのこととへば 如月なかば雪は降りつつ
近江のや うしの祭りのこととへば 志らゆう花を雪とまかへて
境内社に足羽神社・気比神社(仲哀天皇)・垂井神社がある。なお、当社に伝わる伝承は、水尾神社の由緒ともリンクしており、両者の深い関係を思わせる。

【ご利益】
夫婦和合、子宝・安産、家内円満
三重生神社 - 継体天皇の父母を祀る、古来より4月の「牛の祭り」で知られる近江の古社
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