鶏知の元宮? リアス式海岸のど真ん中に鎮座する対馬住吉の元祖
住吉神社(長崎県対馬市美津島町鴨居瀬字住吉491)
[住所]長崎県対馬市美津島町鴨居瀬字住吉491
[電話]-

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、長崎県対馬市美津島町鴨居瀬にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 下県郡「住吉神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。近代社格では村社。

周辺に弥生期や古墳期の出土品も多く、古い。式内社「住吉神社」は、『延喜式』神名帳に記載がある住吉神社の七社、いわゆる住吉七社の一つ。

他の論社としては、鶏知に同名神社がある。どちらかと言えば、鶏知の方が有力だが、鶏知は当社の勧請であることが明らかな、鶏知の元宮である。

御祭神は、彦波瀲武鵜鵜草葺不合命と三筒男命。三筒男命は住吉三神だろう。異説に、和多都美之神(豊玉彦命)、豊玉姫命というものもある。

当社の創建は初代神武天皇の時代とされる。彦波瀲武鵜草葺不合命を奉斎し、津口和多女御子神社と呼ばれた。

彦火火出見命が対馬海宮に降臨して、豊玉彦命の御女の豊玉姫を娶り、海宮に住むこと三年、豊玉姫は身ごもったため、当地を産室としたと伝わる。

主祭神はその生まれた子供であり、まさに生まれ育った地、ということになる。しかし、神功皇后が三韓征伐の時、海神を奉斎して以来、現社号で呼ばれるようにもなった。

主祭神の生誕・成長に関しては、『古事記』を素直に読めば南九州の地においてだろう。ただし、上総国一宮である玉前神社などにも同種の伝承が残っており、当社が特段奇異なわけではない。

舒明天皇2年(630年)8月、遣唐使犬上耜(犬上御田鍬)の参拝があったという。その後、代々の国司や国主の崇敬を受け、治承4年(1180年)、対馬守である源親光が社殿を補修した。

文治年間(1185年-1190年)の神社帳では津口和多女御子神社と記載され、貞享年間(1684年-1688年)の神社誌には柴瀬戸住吉大明神とある。

明治3年(1870年)11月14日、元の住吉大明神の社号を改め和多女御子神社と称した。明治7年(1874年)5月18日、村社に列した。

昭和18年(1943年)1月11日に社名変更が許可され、現社号に落ち着いた。例祭は9月12日・13日。

鶏知が後世にかけて、対馬島の中心になり、そこに鎮座する同名神社が式内社として有力になったものの、岬の崎に鎮座、海に東面して鳥居が立っている。

リアス式海岸の真っただ中に鎮座する姿は、住吉三神にふさわしい、との指摘もある。

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