木の国を象徴する神は船の神、志磨・静火とともに紀三所社の一つ
伊達神社(和歌山県和歌山市園部1580)
[住所]和歌山県和歌山市園部1580
[電話]073-461-0643

伊達神社(いたてじんじゃ/いだてじんじゃ)は、和歌山県和歌山市園部にある神社。別称を薗部神社(園部神社)。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「伊達神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では郷社。

市内中之島の志磨神社、同じく和田の静火神社竈山神社摂社)とともに「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称される。

『住吉大社神代記』では、「紀三所社」について、神功皇后が三韓征伐に用いた船3艘を武内宿禰に祀らせたことが起源とする。

住吉大社摂社の船玉神社が紀氏の神であり、「志麻神・静火神・伊達神の本社」であるとしている。

特に、『播磨国風土記』には、神功皇后が三韓征伐で半島に渡る際に船の前に「伊太代神」を祀ったという記述があり、当社との関係が指摘される。

御祭神は五十猛命(いたけるのみこと)。素盞鳴尊の御子神で、またの名を大屋毘古神とされる。後に神八井耳命(かむやいみみのみこと)を併祀する。

五十猛命は「木の国(紀伊国)」を象徴する樹木の神であるが、船は木を伐り出して作られることから、船の守り神ともされていた。

また、紀伊国一宮伊太祁曽神社御祭神と同神であることから、当社は「一宮大明神」とも称されたという。

和歌山市園部の東部に有功(いさお)という地名がある。主祭神の別名が有功神(いさおのかみ)ともされるため、当社とその主祭神にちなむものと考えられている。

創建は不詳。承安4年(1174年)の古文書によると当社含め「紀三所社」は日前神宮・國懸神宮近くにあったと見られることから、現在地の薗部への遷座はそれ以後とされる。

国史では、いずれも志摩神(志磨神)・静火神とともに承和11年(844年)に正五位下、嘉祥3年(850年)に従四位下、貞観元年(859年)に正四位下、貞観17年(875年)に従三位の神階昇叙が記載されている。

『紀伊国神名帳』では「正一位 伊達大神」とある。

ただし、寛保年間(1741年-1744年)に和歌山市小野町の水門吹上神社が式内社「伊達神社」を主張し、和歌山藩がその主張を認めたため、当社は薗部神社と称したという。

明治に入り、復称した。例祭は10月13日。

境内末社に、天照大神・金峯神社・八王子社・稲荷神社・八幡神社・樟神社・春日神社・住吉神社・粟島神社・早尾神社・天盤座神社がある。

小祠として、大人神社・八幡神社・赤財神社・畦神社・妙見神社・天満神社・五社神社・恵美須神社がある。

【ご利益】
木の神、水・船の神、家内安全、海上・交通安全
伊達神社(和歌山市) - 木の国を象徴する神は船の神、志磨・静火とともに紀三所社の一つ
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伊達神社(和歌山市)の御朱印