三韓征伐の武内宿禰に由来する、宗像大社に次ぐ社格を与えられた名神大社
[住所]福岡県宗像市鐘崎字岬224
[電話]0940-62-2111

織幡神社(おりはたじんじゃ)は、福岡県宗像市鐘崎岬にある神社。織幡宮(おりはたぐう)ともいい、地元の住民からは「シキハン様」と呼ばれている。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑前国 宗像郡「織幡神社」に比定される式内社(名神大社)。ただし、『延喜式』臨時祭「名神祭」には掲載されていない。近代社格では県社

現在は宗像大社の摂社である。鐘崎の港の先にある鐘ノ岬の小山・佐屋形山の山頂に鎮座する。鐘ノ岬の沖には異国から渡来した釣鐘が沈んでいるという「沈鐘」の伝承があった。

大正時代に引き揚げられたが、釣鐘だと思われていたものは実際には巨石であった。その巨石が参道脇に置かれている。

主祭神として、中座に武内宿禰、西座に住吉大神(住吉三神)、東座に志賀大神(綿津見三神)を祀り、天照皇大神宗像大神香椎大神・八幡大神・壹岐真根子臣を配祀する。

『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内宿禰が織った紅白2本の旗をつけ、これ上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(宗像の沖ノ島)に立てたという。

武内宿禰が旗を織ったのが当地で、その旗が祀られていると伝えられる。

武内宿禰は、「我死なば神霊は必ずやこの地に安ずべし」と伝言したといい、境内右手には武内宿禰が沓を残して昇天したと伝えられる沓塚がある。

以来、壹岐真根子臣とその末裔が奉斎する。ちなみに、「御手長」は壱岐の天手長男神社につながっていく。

『延喜式』神名帳では、宗像郡内では筆頭の宗像大社の次に記されている。鎮国寺と宗像大社三社を併せて「宗像五社」と呼ばれ、古くから朝廷の尊崇が厚かった。

現在の社殿は元禄8年(1695年)、拝殿は元禄16年(1703年)に造営されたものと古文書に記録されている。

明治5年(1872年)に村社に列格し、明治10年(1877年)に宗像神社(現 宗像大社)の境外摂社、明治15年(1882年)に郷社、昭和3年(1928年)に県社となった。

【ご利益】
海上・交通安全、武運長久、国家鎮護
織幡神社 - 三韓征伐の武内宿禰に由来する、宗像大社に次ぐ社格を与えられた名神大社
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