未婚男性が女らしく舞う「王の舞」、日本有数の神々を祀る二十八所大明神
[住所]福井県三方郡美浜町宮代7-2
[電話]0770-32-0254

彌美神社(みみじんじゃ、弥美神社)は、福井県三方郡美浜町宮代にある神社。参拝すれば、「二十八所大明神 若狭耳別祖神 彌美神社」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 三方郡「彌美神社/弥美神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

キャッチフレーズは「すべての願いが叶う杜」。御祭神は室比古王(室毘古王)。第9代開化天皇の皇子日子坐王沙本之大闇見戸売を妻にしてもうけた開化天皇の皇孫で、若狭耳別の祖。

主祭神の実の兄と姉に、第11代垂仁天皇の義兄と皇后となるサオビコサオビメがいるが、この二人の兄妹は垂仁天皇に反旗を翻すことになる(『古事記』該当部分)。

また二十八所大明神として、伊勢北野春日丹生平野松尾・賀茂・稲荷大原野石上大和廣瀬龍田住吉梅宮吉田廣田祇園気比熊野・金峯・白山熱田石清水・上下宮・十禅師・日吉三輪の二十八所の神社の神。

二十八所大明神には諸説あるが、上記が当社公式サイトの見解。賀茂は賀茂社、つまり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)のこと。金峯は金峯山寺か。

十禅師は何を示すのかは不明。上下宮は諏訪大社上社下社との説がある。基本的には二十二社+主要神社(寺院)という枠組みのようだ。

また、建御雷神天兒屋根命布都主神・比咩大神・大山祇命天照皇大神豊受大神応神天皇倉稲魂命・大山積命・菅原道真を合祀する。

第10代崇神天皇の御世、各地に皇族が派遣されてその地を統治させたが、室毘古王は三方郡に駐屯して、当地の開拓を進めたという。

ちなみに、近くの闇見神社では室毘古王の母である大闇見戸売を祀る。さらに、能登神社では室毘古王とは従兄弟にあたる第10代崇神天皇の皇子、大入杵命を祀る。

時は流れて大宝2年(702年)、その御恩に報いるため、神体山として信仰されていた御嶽山の麓に社殿が造営されたのが当社。

中世を通じて、歴代の領主からの崇敬厚く、近世になって、小浜藩主京極忠高は多くの山林田野を寄進した。

酒井氏が藩主となってからも、正保2年(1645年)、初代忠勝が祈願のために神殿を補修したのを先例に、歴代の忠直、忠囿らも篤く当社を崇敬したという。

嘉禄2年(1226年)、社号を二十八所宮としたが、明治2年(1869年)に現社号に復称、大正14年(1925年)に県社に列せられ、同年に神饌幣帛料供進社に指定された。

戦前は、三方郡はもとより、敦賀市に及ぶ地域に多くの崇敬者があったが、現在は、河原市・和田・木野・佐柿・坂尻・麻生・中寺・宮代・小三ヶ・新庄・野口・佐野・上野・興道寺・南市・雲谷・栄の17地区の総氏神となっている。

例祭は5月1日。麻生地区(東山地区も5年に1度引き受ける)による王の舞が奉納される。県の無形民俗文化財。舞い手は未婚の男性であるが、しなやかに女性の仕草で美しく舞うこととされる。

この地域では当社以外にも宇波西神社織田神社などでも奉納される。いわゆる若狭の王の舞群の一つで、その代表的なもの。

各社でそれぞれ多少の違いはあるものの、真っ赤な袷(あわせ)と鼻高朱面は共通している。明らかに猿田彦だが、なぜ猿田彦なのかは不明。

なお、例祭には小倉・木野・雲谷の各地区は参加しない。木野の場合、木野神社と当社の関わりや、坂上田村麻呂に関わる伝承によって、当社祭礼に参加しないとされている。

三又(さんさ)の杉と呼ばれる、樹齢700年以上の御神木があり、長寿の象徴して信仰されている。

【ご利益】
開き・導きの神、開運招福、厄除け、交通安全、土地開発(公式HP
弥美神社
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彌美神社の御朱印