若狭国一宮と二宮の御子神で皇父を祀る、日向からの移住伝承と、王の舞
[住所]福井県三方上中郡若狭町気山129-3
[電話]0770-45-0326

宇波西神社(うわせじんじゃ)は、福井県三方上中郡若狭町にある神社。三方五湖の近く。参拝すれば、「式内名神大社」「旧県社」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 三方郡「宇波西神社」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)。ただし、『延喜式』臨時祭「名神祭」には掲載されていない。近代社格では県社

彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を祀る。初代神武天皇の父に当たる。近くの若狭国一宮若狭彦神社では父である彦火火出見尊が、若狭国二宮・若狭姫神社では母である豊玉姫命が祀られている。

伝承によれば、大宝元年(701年)3月8日、現在の美浜町日向で創建され、上野谷の金向山の麓に遷座した後、大同元年(806年)に現在地に遷座した。

日向地区の伝承では、この村に住む漁師の六郎右衛門が湖で漁をしていると一匹の鵜が現れ、「湖の底に高貴な方がおられ、救いを求めている」と言った。

鵜につれられて湖に入ってゆくと湖底に宝刀があったので、自宅に持ち帰り神棚に祀った。

すると六郎右衛門の夢の中に主祭神が表れ、自分を上瀬の畔に祀るように告げ、自分の国の名である「日向」をこの村の名にするように言ったという。

当社の社名は「上瀬」によるもの。また、他の伝承では大宝年間(701年-704年)に主祭神が日向から出雲を通り、日本海を渡って当地に現れたとしている。

日向地区は、古代に九州の日向国からの移住があったものと考えられており、方言や字名に日向国と共通するものが多い。

『延喜式』神名帳では、北陸道の352座の神社の中で唯一、月次・新嘗の幣帛に預る神社となっている。

『若狭国神名帳』に「従二位 於瀬大明神」として記載されている。なお、同神名帳にはさらに別に「正五位 於瀬明神」「正五位 於瀬河中明神」がある。

前車が式内社「於世神社」、後者が当社から南すぐの川中神社とされる。式内社「於世神社」は所在不明で、参考社として川中神社が挙げられる。

建武年間(1334年-1336年)・元亀年間(1570年-1573年)の2度、兵火により社殿を焼失した。天正年間(1573年-1593年)、今富の城主浅野長政が社殿を造営し、参道を寄進した。

江戸期は国主酒井家から累代、修理改築など篤い崇敬があり 現在の社殿は嘉永4年(1851年)に造営されたものである。

例祭は旧暦3月8日に対する月遅れである4月8日。「田楽」「王の舞」「獅子舞」「浦安の舞」が奉納される。「宇波西神社祭礼」として県の無形民俗文化財、国の選択無形民俗文化財に選択されている。

王の舞が特に有名で、この地域では当社以外にも彌美神社織田神社でも奉納される。各社でそれぞれ多少の違いはあるものの、真っ赤な袷(あわせ)と鼻高朱面は共通している。

明らかに猿田彦だが、なぜ猿田彦なのかは不明。ともかく、若狭の王の舞群の一つで、その代表的なもの。

御神木の大杉は周囲約十七尺、推定樹齢830年とされる。先端は火災の飛火によって炎上しており、当社の壮絶な歴史を物語っている。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、子孫繁栄、家内安全
宇波西神社 - 若狭国一宮と二宮の御子神で皇父を祀る、日向からの移住伝承と、王の舞
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宇波西神社の御朱印